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サントリー地域文化賞 | 地域文化を考える/インタビュー

地域における社会と文化をめぐる様々な問題をテーマに、日本を代表する識者や地域文化活動の現場で活躍するリーダーたちから意見を伺い、地域文化の発展に役立つ知見を全国に紹介しています。

「共生の時代」地方は文化の担い手に

黒川 紀章氏

Kisho Kurokawa

建築家、日本芸術院会員

[プロフィール]
1934年名古屋市生まれ。国立民族学博物館(毎日芸術賞)、広島市現代美術館(日本建築学会賞)をはじめ、マレーシアのクアラルンプール新国際空港やオランダのヴァン・ゴッホ美術館新館など数多くの設計を手がけ、国際的に活躍。

「地域文化ニュース」第18号(1999年11月)掲載

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――黒川先生は、第一線で活躍している芸術家や文化人の参加を得ながら、全国各地で開催されている日本文化デザイン会議の発案者でいらっしゃいます。今年第22回目を迎えるこの会議は、どういう経緯で誕生したのでしょうか。


  「日本文化デザイン会議」の誕生

黒川 1979年に、アメリカで毎年開催されているアスペン国際デザイン会議の議長役を任されたのがきっかけです。
 そのときのテーマは、「日本と日本人」。日本の高度成長期であり、日本への関心が高まりつつある時期でした。そして、世界の中心=アメリカから見た地方=日本を、初めてテーマに取り上げたものでした。
 画家の池田満寿夫、横尾忠則、映画監督の大島渚、デザイナーの三宅一生をはじめ、日本を代表する百人近いアーチストや学者、文化人とともに会議に乗り込み、公用語も日本語にしました。コメ文化論、稟議、新幹線、垣根などといったキーワードをもとに分科会ごとに議論を繰り広げ、同時に映画上映やファッションショーなどのイベントも開催しました。
 帰国後、参加者の中から、日本でも専門分野をこえた学際的な議論ができる場が欲しいという声があがり、日本でも地方をテーマに会議を開こうという事になったのです。
 当時、日本では「地方の時代」ということが言われていましたが、まだその時代は来ていませんでした。地域の優れた人材や文化を発掘したり、情報を発信することによって、地方を活性化するお手伝いもできるという思いもありました。ですから、東京を除く日本中の都市で会議を開こうということで、1980年に横浜で第1回目を開催したのです。

――その後、仙台、金沢、神戸、札幌、大垣や前橋など、全国の都市を回っていらっしゃいますが、開催地はどのようにして決めているのですか。


  コミュニケーションの 場づくり

黒川 県と市、商工会議所、青年会議所、地元の新聞やテレビなどによる招聘をもとに、理事会で決定しています。最近は、多いときには4つぐらいの地域からの誘致合戦になるんですよ。オリンピック委員会みたいに、賄賂や接待攻勢をしてもらうということはありませんけどね(笑)。
 日本という国はあまりにも専門化が進みすぎているので、優秀な人たちどうしのコミュニケーションの場を作ろうというのがこの会議の目的のひとつです。120人から150人のゲストがボランティアで参加してくれて、3日間で70ぐらいのシンポジウムやイベントを街中で行います。これを地域ぐるみで地元の人たちが支えてくれるのです。
 私達が行ったことによって、これまでは協力してひとつの事業をしたことが無かった県と市、行政と財界、マスコミの間に交流が生まれる事にもなるのです。よそ者が行って引っ掻き回してくるわけですね(笑)。
 観客の方も、非常に熱心です。秋田のときは、延べで10万4千人が参加してくれました。固定ファンもいるのですが、驚くのは、いろんな層の人がいることで、主婦やお年寄り、女子大生もいれば、状況視察に来た自治体の人もいるし、小学生もいて、熱気に溢れているのです。
 この3日間の興奮を利用して、その土地独自の文化デザイン会議を作ってもらうことも、我々の目的のひとつなんです。地方で自前の文化デザイン会議が毎回できています。それがずっと続いていますから、地元の人材も育っていると思います。

  「明治をやめよう運動」

――ところで、先生の唱えられている「共生の思想」は、今や多くの自治体でまちづくりのキー・ワードとして使われるようになっていますが、黒川先生の中では、この思想と地方はどのように結びついているのでしょうか。


黒川 基本的に僕がやっているのは「明治をやめよう運動」なんです。それはどういう事かというと、明治というのは、中央集権的な時代で、文化は東京から地方へ流れていくものだという考え方の時代です。それは、文明はヨーロッパから発展途上国に流れていくものだという思想ともつながるものです。一番素晴らしい単一文化が広がっていく、そういう時代だったのです。
 そうではなくて、異なる文化が共生するほうがより豊かであるというのが、僕の「共生の思想」なんです。
 だから、明治をやめるということは、ヨーロッパの文化が唯一素晴らしい文化なのではなくて、日本の文化もイスラムの文化も素晴らしいものとして受け入れるということです。日本全体に当てはめると、一元的な東京文化の覇権ではなくて、多元的な地方文化の共生の時代に移らなければならないということです。これは私の一貫した問題意識に基づくものです。
 だからそのためには、地方がアンチ東京で一枚岩になってはだめなのです。地方は地方でそれぞれにアイデンティティを持たなければいけない。異質なもの同士が対立し、競争しあいながらも、お互いを必要とし、共に生きるのが私の言う「共生」です。そうすることによって、片一方だけでは生まれない創造的なパワーが出る。

  文化を生み出すパワー

 何故、都市には文化を生み出すパワーがあるのかというと、異質なものが常に送り込まれているからです。ですから、地方の都市がしっかりすることが大切だと思います。東京の文化も、周辺の町の文化も、外国の文化も、異質なものをどんどん取り入れる能力を持つ土地が、これからの共生の時代のチャンピオンになると思います。
 僕の共生の思想というのは、明治に対する闘いの思想なんです。
 酒と同じで、文化にとっては、時間をかけて良くすることができるということが、一番大切なんです。文化は熟成するものなんです。今の東京は、あまりにも変化のスピードが目まぐるしすぎますが、その東京から距離をおいて、自分のペースを守れる地方というのは、文化を創るのにとても有利なんです。だからといって東京がいらないと言っているわけではないのですが、東京があってこそ、そこから適当な距離をおいた地方が、共生の時代の中で新しい文化の担い手になるのではないかと期待しています。
(所属・肩書きはインタヴュー掲載時のもの)


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