商品を創るをやってみなはれ 開発系プロジェクト 「ハイボール」復活プロジェクト

プロジェクト概要

1983年をピークに急激に縮小してきたウイスキー市場。2007年には販売量ベースで6分の1まで落ち込んでいた。メガ・ブランド「オールド」を軸に成長を続けてきたウイスキー事業も創業以来最大の危機を迎えつつあった。そんななか、起死回生の一打として打ち出されたのが「ハイボール」の復活プロジェクトだった。
なぜ、ウイスキーが飲まれなくなったのか。数年にわたる調査のなかで、浮かび上がってきた課題が若者のウイスキー離れ。ウイスキーは他のアルコール飲料に比べ、価格も高い。そして何よりも中高年がグラスを片手に氷の音を響かせながら飲むという古いイメージが、ウイスキーを若者から遠ざけていた。その一方で、「とりあえずビール」と乾杯はするものの、低アルコール飲料が台頭し、若者のビール離れが叫ばれている時代でもあった。そこで再発見された飲み方が、アルコール度数も低く抑えられ、食中酒としても飲める「ハイボール」だった。2008年にスタートさせた「角瓶」による「角ハイボール」復活プロジェクトは、翌年には17%の市場拡大に貢献。その後、「トリス」の「ハイボール」提案や「角ハイボール缶」などを発売。「ハイボール」という飲み方を定着させ、ウイスキー市場の底上げに貢献していった。

サントリー株式会社
ウイスキーブランド部 奈良 匠
PROFILE
入社後、北海道支店に配属され、家庭用酒類のスーパー営業を担当する。入社3年目、同じ北海道支店で販売企画に携わり、営業のサポート業務にあたる。その後、洋酒事業部に異動し、年間の損益などをマネジメントする計数管理業務に携わる。入社8年目の2008年に、ウイスキー部に異動、「角瓶」のブランド担当になり、「ハイボール」復活プロジェクトを担当する。1年間、「トリス」のブランド担当を努め、再度、「角瓶」のブランド担当に戻り、現在に至る。
サントリー南アルプス&朝摘みオレンジ
写真:仕事風景1

ビール感覚で飲む「角ジョッキ」の開発。が、最初は失敗の連続。

私が「角瓶」のブランド担当に赴任した時はすでに、「ハイボール」復活の構想のようなものはでき上がっていました。ウイスキー市場が低迷するなかで、何とか若者にウイスキーを飲んでもらおうという戦略の一つとして、「ハイボール」という飲み方を提案していこうと。しかし、「角瓶」を使ってどう展開していくかという明確な戦略はなく、その展開を考えるのが私たちの役割でした。まず私たちはこれまでのウイスキーの飲み方を刷新するために、居酒屋や飲食店での接点に注目。「角瓶」はドライなウイスキーでソーダとも相性がよく、価格もリーズナブルです。チューハイなどのRTDが伸長している市場でしたので、ウイスキーもビールやチューハイのように気軽に「ハイボール」を飲んでもらえないかと考えました。そこで開発したのが「角ジョッキ」でした。
ジョッキでハイボールを飲む。最初は社内でも反対がありましたね。そんな飲み方は邪道だと。実はチームの一人にあまりウイスキーを飲めないメンバーがいて、「ビール感覚で飲んでもいいんじゃないか」の一言からジョッキという発想が生まれました。ウイスキーという古いイメージにとらわれていなかったからこそ生まれてきたアイデアだったとも言えます。
まずは営業担当者と連携して、新宿周辺の居酒屋への「ハイボール」提案をスタートさせました。ところが最初は失敗も多くありました。「売れないからやめた」とか「作り方がめんどうくさい」とか…。話を聞いてみると、味が薄かったり、濃すぎたり、そもそも若者は「ハイボール」を知らない。やっぱりダメかと最初は落ち込みました。

地道なプロモーションで「ハイボール」の浸透へ。復活元年となった2009年。

そこで、作り方や味から伝えていこうという考えにシフト。「こだわり3ヶ条+1」というマニュアルを作成したり、誰でもつくれる「ハイボールタワー」というお店に置くサーバーを開発したり、地道なプロモーションを展開していきました。「こだわり3ヶ条+1」というのは「ジョッキいっぱい氷をいれる」「冷やしたソーダを静かに注ぐ」「ウイスキー1に対してソーダを4の割合で入れる」、さらに+1ではレモンの絞り方にもこだわるというもの。こうしたマニュアルも、若者の好みに合わせるために、アルコール濃度を8%~7%に抑える工夫でした。「ハイボールタワー」は何千台も作れませんので、1日3杯出すお店を100件つくるよりも、1日300杯出すお店を1件つくろうという発想で、モデル店のようなものから徐々に「ハイボール」を浸透させていこうと考えました。居酒屋さんでは「ハイボール」のセミナーも開催。これが功を奏して、徐々にですが居酒屋や飲食店での「ハイボール」出荷が増えていきました。
この段階で宣伝部とも相談し、CMに打って出ることが決まりました。女性店主役にタレントの小雪さんを起用した、あのご存知「ウイスキーが、お好きでしょ」のCMです。ここからですね、一気に加速していったのは。2009年には「角ハイボール缶」も発売。2008年末に「ハイボール」を取り扱う店が1万5千店程度だったのが2009年には6万店まで増え、若者の認知度も3割から8割近くまで上昇。飲食店などでの「角瓶」の売上も、当初の8万ケースから倍・倍と伸びて、現在は80万ケースにも達しています。2009年には「ハイボール」がヒット番付にもノミネートされ、まさに「ハイボール」復活元年となりました。

写真:仕事風景2

ウイスキー市場の底上げを推進。次の挑戦は「ハイボール」文化を世界へ。

2010年、思わぬ事態が発生。想定外の「角瓶」の出荷に、生産調整を余儀なくされました。ウイスキーは5年、10年と寝かしてつくられるものですから、急激な増加に生産が追いつかなくなってしまったのです。お客様にはご迷惑をおかけしましたが、私自身もせっかく伸びてきた市場が停滞することに悔しい思いを味わいました。その空白の時期は「トリス」での「ハイボール」復活をやろうと、「トリス」のブランド戦略に取り組みました。「トリス」でも順調な売上を見せ、「ハイボール」の定着を実感しました。

写真:仕事風景3

2011年、再び、「角瓶」の担当に戻って、「ハイボール」復活の第2章がスタート。第2章は飲食店などで飲んだ「ハイボール」を家庭でも楽しんでもらおうというものでした。CMの女店主も小雪さんから菅野美穂さんに切り替え、食中酒としての「ハイボール」も前面に打ち出し、家庭で飲む「ハイボール」というイメージにつなげていきました。2014年2月からは3代目店主として井川遥さんを起用しています。現在、「角瓶」は「ハイボール」復活前の150万ケースから300万ケースに倍増しています。この数字をどう維持し、伸ばすか。次の一手を模索している最中です。今、注目しているのは海外市場です。「ハイボール」はもともとスコットランドで生まれた飲み方と言われていますが、最もポピュラーな飲み方として定着しているのは日本だけだと思います。この「ハイボール」文化を海外へ、とりわけアジア市場で展開してみたいですね。「世界の角ハイボール」というのが、これからの目標でしょうか。

奈良 匠
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プロジェクトメンバー

先人たちの試行錯誤の上に築かれた 復活プロジェクト。

当時の私の役割は、ウイスキー部が考えた戦略を営業の現場に橋渡しをしていくことです。通常、商品開発では、全体を統括するブランド担当がいて、中味を考える担当者と、私のような決まった戦略を営業現場につなげる担当者というチーム編成です。今回の「ハイボール」復活は一朝一夕に成し遂げられたものではありません。先人たちの試行錯誤の歴史の上に築かれたものです。私たち自身も、営業現場と連携しながら、地道に試行錯誤を繰り返しながらの戦いでした。
最初はジョッキで飲むことやレモンを入れることに、社内でも大きな反対意見や抵抗がありました。「角瓶」は70年以上もの歴史のあるウイスキーです。さまざまな意見が出るのは当然のことです。しかし、私たちにも何とかウイスキー市場を盛り上げたい、「角瓶」を飲んでもらいたいという強い思いがありました。たとえ、役員の方に反対されようとも、これでいけると確信したときは、最後までやり遂げようという思いは強かったですね。幸い、「やってみなはれ」精神で、思う存分、やらせてもらうことができました。「ハイボール」をジョッキで飲むという発想にこだわったり、レモンの絞り方にしても究極の入れ方を追求したり、徹底的なこだわりが「ハイボール」の復活につながったと思っています。私自身、ウイスキーの魅力にとりつかれて、この仕事をやっていますので、ウイスキー市場のさらなる拡大に貢献していきたいですね。

サントリー株式会社 ウイスキーブランド部 竹内 淳
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「ハイボール」を 気楽に缶で飲むスタイルを目指して。

2009年に「ハイボールブーム」が起こり、「角瓶」の売上が伸びていく最中の2011年に、私はウイスキー部に異動し、「角ハイボール缶」の担当になりました。「角ハイボール缶」は「ハイボールブーム」の真っ只中の2009年に発売され、積極的な展開を図っていました。しかし、私が担当する頃は、やや伸びに陰りが見え始め、正直、社内的には「少しブームが去った商品」と位置づけられていたように思います。
そんな状況のなかで、ブランド担当としての私の仕事がスタート。お客様の声を聞くなかで、「絶対に缶だからこそ、伝えられることがある」という確信が芽生えたのを覚えています。「角ハイは居酒屋では飲むけど家では飲まない」というお客様が多くいましたが、その理由は「作り方がわからない」「瓶1本買うのはハードルが高い」ということでした。そんな方にこそ、気軽に家で角ハイボールを楽しんでいただくための「『入口』的存在」として、缶を提案する余地はまだまだある!」と感じたのです。再度ブランドのコンディションを上げるべく、リニューアルを伴うリマーケティングをすることに。最も苦労したのは、「歴史が長い角瓶のブランド」の「缶製品」として、どこまで「角瓶」のブランド資産を守りながら、どこまで新しい提案をできるか。手軽に身近に感じてもらい、「一部のお酒好きの人だけが飲むお酒」というイメージを変えたい。中味担当やデザイナーと議論を重ね、どこまで変えていいのか?悩む日々が続きました。そして、迎えたリニューアルは大成功!昔からのお客様も離れることなく、新しいお客様も獲得することが出来ました。
ハイボールの一つの楽しみ方として「缶で飲むスタイルを家庭内でも定着させたい!」。多くの酒類品が「ビール」や「チューハイ」など缶で気軽に飲むスタイルになっている時代。当たり前のように、お酒が好きなご家庭の冷蔵庫に「角ハイボール缶」が冷えて待っている。そういう世界まではまだまだ道半ばだと思いますが、そういう日を目指して、日々頭に汗をかいて提案していきたいと思っています。

サントリー ウイスキーブランド部 菊地 友里
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プロジェクトメンバーのウラ話し

  • 奈良 匠 奈良 匠のウラ話し
  • 竹内 淳 竹内 淳のウラ話し
  • 菊池 友里 菊地 友里のウラ話し

※内容・社員の所属は取材当時のものです。

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