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2009年11月6日
第31回 サントリー学芸賞 受賞のことば
<政治・経済部門>
武内 進一(たけうち しんいち)(国際協力機構 JICA研究所上席研究員)
『現代アフリカの紛争と国家
―― ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』(明石書店)
このたびは、予想もしていなかった賞をいただき、大いに驚くとともに、大変に光栄なことと感謝しております。初めての単著であり、研究のとりまとめという性格がある本ですので、ここまでやってきたことを、とりあえずこれでいいんだよ、と言っていただいた気がします。とても嬉しく、またほっとしています。改めて、この本を書くにあたりお世話になった方々お一人お一人に、感謝の気持ちを伝えたい思いです。
私は基本的に身勝手な人間で、自分を出発点にすることでしか、リアリティをもってモノを考えることができません。アフリカの武力紛争について本を書いたのも、アジア経済研究所から派遣されたコンゴ共和国で紛争に遭遇した個人的な経験に基づいています。自分が見たものはいったい何なのか、それが自分とどう繋がっているのか、そのことを考え続けた結果がこの本です。アフリカの紛争について考える作業は、私の場合、常に自分について考える作業と結びついています。
それでも、アフリカの武力紛争というテーマを勉強するにつれ、その広がりと深さに驚くようになりました。なぜ紛争が起きるのか、紛争が起こらないようにするにはどうすればよいのか、紛争の傷をどう乗り越えるのか...。武力紛争をめぐる問いは概ね素朴で、ナイーブでさえありますが、そうした問いをめぐって膨大な数の研究が蓄積され、実践に向けた努力と試行錯誤が世界中で繰り返されています。自分の本はちっぽけな成果に過ぎませんが、それが何らかの触媒になって、この分野に関心を持つ人が増えるなら、これほど嬉しいことはないと思っています。
今年度から、縁あって国際協力機構(JICA)研究所に出向し、「平和と開発」領域の研究に従事することになりました。実務家の大変な努力を目の当たりにしながら、研究に携わる者として何ができるのか、また何をなすべきなのか、日々自問しています。研究と実務の連携や協力は、口で言うほど簡単なことではありません。本当の意味で実務に「役立つ」研究とは何なのか。今はまだ、その答えを探しているところですが、こちらも同じように努力するなかでしか、答えは見つからないのでしょう。今回の受賞を励みとして、努力を続けていきたいと思います。どうもありがとうございました。
<芸術・文学部門>
伊東 信宏(いとう のぶひろ)(大阪大学大学院文学研究科准教授)
『中東欧音楽の回路 ―― ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店)
小学生の頃、近所の先生にヴァイオリンを習っていて、その先生に少年オーケストラのようなものに派遣されたことがあります。知らない人ばかりの中で合奏せねばならないので、ちょっと心細かったのですが、とにかく前で背の高いお年寄りが指揮をしていて、その人はとても偉い先生なのだ、と言われたことを覚えています。今思うと、あれは最晩年の近衛秀麿さん(1898〜1973年)でした。演奏の後、一番小さくて一番前で弾いていた私は、近衛さんに頭をなでてもらった記憶があります。
その後、大学で交響楽団に所属し、また大学院で音楽学を専攻して、結局私は東欧の音楽などを専門とするようになります。そして、研究のためにハンガリーに留学しました。学ぶことはいろいろあったのですが、それにしても根本的なところで深い疑問をぬぐいされませんでした。どうして極東生まれの私が、こんな縁もゆかりもない東欧の音楽なんか研究しているのか、それを研究してどうなるというのか、というような疑問です。
けれども、ここ10年ほど、今回賞をいただいた本で書いたようなことを考えているうちに、かなりこの見方は変わりました。今回の本のアイディアの基本にあるのは、ここで問題にした中東欧の民俗音楽というものが、大西洋を渡った移民とともにアメリカの大衆音楽の基底ともなり、またロシア/満州/上海などを経て日本にも直接もたらされているのだ、ということです。つまり、「日本の西洋音楽」というのは、極東に根無し草的に現れた徒花というわけでもなくて、「世界音楽システム」の中で、それなりの歴史的連関におかれているのだ、ということです。
こう考えるようになって、小学生の頃に自分が近衛さんに指揮してもらった、ということを思い出し(ずっと忘れていたのです)、ちょっと救われたような思いがしました。近衛さんは、旧満州経由で日本に西洋音楽をもたらした張本人の一人だったからです。「わたくしという現象」もそう考えてみればこのつながりの中にあるし、私が東欧の音楽を研究したりすることも全く理由のないことではない、ということを確認したわけです。
そんなわけで、この本は私自身にとって、大切なものです。まだしばらくはこういう視角から何が見えるか、追いかけてゆきたいと思っています。語学をはじめとして、この仕事はいろいろな困難がつきまとうのですが、同時に私には今、これが楽しくて仕方ありません。
そして、そういう思いを込めた仕事に対して、昔から憧れていたサントリー学芸賞を受賞することができ、大変うれしく思います。どうもありがとうございました。
藤原 貞朗(ふじはら さだお)(茨城大学人文学部准教授)
『オリエンタリストの憂鬱
―― 植民地主義時代のフランス東洋学者とアンコール遺跡の考古学』(めこん)
この度の受賞作『オリエンタリストの憂鬱』のテーマであるアンコール遺跡の考古学史の研究は、フランス美術史研究者の私には専門外の分野でありましたが、いずれ誰かが取り組んでまとめねばならない課題だと十年余り前に確信し、こつこつと地味に、ときに私自身が憂鬱になりながら積み上げてきた仕事です。二年前に原稿を書き上げたものの、あてにしていた某学術図書出版助成金は「学術研究の成果を公開するものであるか疑問がある」とのことで獲得が叶わず、かといって一般的関心を引くテーマでもないので、出版すら諦めかけたこともありました。幸いにも出版社のめこんさんが救いの手を差し伸べてくださり、ようやく出来た本です。そんな次第ですので、伝統ある学芸賞を頂戴できるとは夢にも思いませんでした。望外の喜びです。目立たない地味な仕事を評価してくださったサントリー文化財団と関係者のみなさまに深く敬意と感謝の意を表します。
この度の受賞でとりわけ嬉しいことのひとつは、東南アジアの美術文化に関わる本に賞を頂けたことです。もちろん先例はございますが、欧米や日本の研究にくらべると、この分野の本が評価されることはあまりに少ないのではないかと感じます。世界文化遺産に指定されているアンコール遺跡は、テレビや新聞を通じて誰もが知るたいへん有名な遺跡となり、ときに華々しく考古学的発見がメディアを賑わすこともありますが、日々調査研究に従事する研究者とその仕事の本当の成果はといえば、拙著の主人公となったオリエンタリストの仕事と同じように、重要かつ優秀でありながら、一般的にはそれほど知られていません。とても大事な仕事が出版されていますし、若くして優秀な研究者もたくさんいます。至らないところの多い拙著ではありますが、受賞のニュースを通じて拙著が読まれ、もっと評価されるべき、この分野の重要な仕事の数々へと読者を導くことができればと期待します。
今後の私の展望としましては、本書の刊行後にたくさん頂きましたご批判によって新たに見えてきました問題に、再び地味にアプローチしてゆきます。遺跡の保全と復原というアクチュアルな問題には積極的に取り組もうと思います。戦時下日本とインドシナの文化的関係の解明についてもやり残したことが山積みです。
同時に、まだまだ調査研究の途上にありますが、ほかにも書きたい物語は山のようにあります。大戦間期のフランスの美術史家たちの悲喜劇、中国古美術編纂をめぐるオリエンタリストの物語、山下清をめぐる昭和史、忘れ去られたフランスのジャポニスム陶芸家たちの物語・・・、書きたいこと、書かねばならないことがあまりに多すぎますし、また、学術出版不況の時世にあって、どれだけ本にする現実性があるのかと思うとまたもや憂鬱になってしまいますが、この受賞を励みとして、地道に実現させたいと思います。
矢内 賢二(やない けんじ)(日本芸術文化振興会〔国立劇場〕職員)
『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』(白水社)
このたびはサントリー学芸賞のご恵与まことにありがとうございます。思いがけず憧れの賞をいただくこととなり、光栄と恐縮で実に身のすくむような思いです。
拙著は明治時代に活躍した歌舞伎の名優・五代目尾上菊五郎について、とくにキワモノ(際物)の上演という切り口から追いかけた本で、私にとりましては初めての単著です。
「日本の芸能には実際の出来事を即座に脚色した、報道性も兼ね備えた演目がたくさんあって、これをキワモノという」というのは芸能史の最初の方に教わることですが、私にはその説明文以上にキワモノを実感として捉えることができませんでした。しかし社会人になってからの修士論文執筆をきっかけに、明治期歌舞伎の資料を繰る中から、五代目菊五郎演じるチャリネ親方や原田重吉は、大きな衝撃をもって私の前に現れました。時の人物を寸分違わず写し取った菊五郎の恐るべき身体能力。そして今にしてみればキテレツなそのキワモノたちを、何食わぬ顔で受け入れてきた歌舞伎の懐の深さ。
勤務先の劇場で、芝居が終わってひっそりした舞台を呆然と眺めることがあります。オペラや現代演劇と違って、歌舞伎の大道具は、一日の芝居が終わると全部バラして片付けられ、舞台は空っぽになってしまいます。翌日にはまた新しく組み立てられ、終わるとまたバラされる。毎日毎日、舞台の上に「もう一つの世界」が出現してはたちまち消え去っていくのです。げに芸能とは不思議な営みです。
消え去ることは芸能の宿命であり、魅力でもあります。とりわけ私には、まさに一瞬の輝きを残して消えていった明治のキワモノたちが愛おしくてなりません。当時の観客たちが大喝采を送った、その興奮のカケラでもいいから味わってみたい、できれば多くの人に知ってもらいたい。そんな手前勝手な欲望が、日々の勤めの中でなんとか一冊の本を書かせてくれたように思います。それをこのたび授賞という形で評価してくださるのは本当にありがたく、これからの研鑽に向けて限りない原動力になることと思います。
先日、五代目菊五郎丈のお墓にお参りしてきました。拙著刊行のご挨拶をしていないのをずっと気にかけていたのですが、ひょんなご縁でお寺様から講演のご依頼をいただいたのです。これはもう泉下の音羽屋に呼びつけられたに相違なく、楽屋のれんをくぐるような気分で、ようやく不参のお詫びと今回の受賞報告を果たしてきたところです。
サントリー文化財団の皆様、選考委員の先生方、大学院でご指導いただいた先生方、また出版不況といわれる中で拙著刊行を実現してくださった白水社の皆様をはじめ、ご助力を賜った方々に心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。
<社会・風俗部門>
秋山 聰(あきやま あきら)(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)
『聖遺物崇敬の心性史 ―― 西洋中世の聖性と造形』(講談社)
この度、思いがけなくもサントリー学芸賞をいただくこととなり、大変恐縮いたしております。選考委員ならびに財団の皆様に篤く御礼申し上げます。
私は伝統的な美術史の学徒のつもりではありますが、これまでにも小便小僧や画中の蝿、醜い人物像といった些か奇矯なテーマを追い駆ける性向があり、斯学の「すきま産業」を自任しなくもありません。受賞対象となりました聖遺物についての研究も、周りの方々からは「また妙なことを始めたね」とあきれられたものでした。自分自身でもこんなことを調べていてもいいのかな?という思いが常にありましただけに、はからずもこのような形で顕彰していただけることは望外の喜びです。
聖なる人物の遺骨や遺品を尊ぶという聖遺物崇敬に初めて関心を抱いたのは高校生の頃で、ホイジンガの『中世の秋』の中で、聖遺物を入手したいがために聖人を殺そうとした民衆がいた、という一節を読んだ折でした。「頼朝公御幼少の砌のされこうべ」と並んで、随分妙な現象があったものだと、半ば当惑しつつも興味をひかれました。その後ドイツに留学して、各地の教会宝物館で数多くの聖遺物を実見するとともに、H.ベルティンクやA.アンゲネント、A.レグナーといった碩学による聖遺物研究に接するうちに、次第に聖遺物を自らの研究対象にできるのではないかと思い始めました。決定的だったのは、本来の研究テーマであったアルブレヒト・デューラーの遺髪の存在を知ったことでした。聖遺物崇敬と芸術家崇拝の間の顕著な類似性と、宗教改革を契機に芸術家が聖人に代わる存在として社会の中に地歩を築き始めた可能性に思いいたったのです。
さらに近年、島薗進先生を拠点リーダーとするグローバルCOE「死生学の展開と組織化」というプロジェクトに加わらせていただいたことにより、G.ヴォルフ、A.リドフ、S.B.モントゴメリー、E.トゥーノなど聖遺物・聖画像マニアとも言うべき美術史家諸氏と密接に交流することが出来るようになり、知見を深める機会を得ました。また書物の完成まで10年もの間気長に待ってくださった講談社の林辺光慶さん、極めて煩雑な註、図版、文献目録等を厭うことなく瀟洒な書物に仕上げてくださった佐々木啓予さんといった理解ある編集者の方々にも恵まれました。とにもかくにも『聖遺物崇敬の心性史』が形となりえたのは、こうした幸運に加えて、日頃からあきれ返りながらも見守って下さった数多の先学の方々や友人のご支援、ご厚意に支えられてのことであり、ここに深く感謝申し上げます。
持田 叙子(もちだ のぶこ)(近代文学研究者)
『荷風へ、ようこそ』(慶應義塾大学出版会)
このたびは、拙著『荷風へ、ようこそ』に栄えある賞を賜わりまして、ありがとうございます。サントリー文化財団のみなさま、ご審査下さいました選考委員の先生方に深く御礼を申し上げます。拙著出版を支えていただいた慶應義塾大学出版会および三田文學編集部のみなさまにもこの場を借りて、感謝申し上げます。
永井荷風は、その長大な日記『断腸亭日乗』や花柳小説にて知られる、近代の代表的作家です。しかしその読まれ方にはある種の偏(かたより)がなくもなかった。華やかな花柳小説や彼の実人生における女性遍歴の印象も強く、女性読者が近づき難い傾向が生まれてしまいました。
しかしこれは、もったいない。読みようによっては荷風は、その芯に女性性を保ち、それを楯とし軍国主義や国家全体主義が絶対化する時代状況にあらがい続けた作家です。彼のつづる季節のエッセイや花愛(め)でのエッセイはそうした女性性の象徴でもあります、儚く美しい。
前著『朝寝の荷風』においてはまずそうした読者偏向を破るべく、女性の精神的自立に心を寄せ、花々や花園を愛するフェミニンな荷風、という像を提案しました。そのイメージを核に企画された「永井荷風のシングル・シンプルライフ」展(2008年2〜4月、世田谷文学館)の監修を務めたことは、貴重な勉強の機会となりました。お世話いただいた世田谷文学館のみなさまにも御礼申し上げます。
今回の『荷風へ、ようこそ』を書く際には、読者に語りかけ戯れ時に笑わせつつ批評をくり広げる荷風の豊饒な声に誘われ、自身にも或る野心が生まれました。評論の一つの主流である理論的枠組みの重視や男性的論調文体を時に外れ、荷風の一つの本質である女性性に似合うやわらかい文体をこころみたくなりました。評者でありつつ愛読者でもある自身の多声や、いくつかの遊びや仕掛けをも論中にしのばせたくなりました。そうした試みにより、拙著読者とともに存分に、荷風文学を愉しみたいと考えたのです。成否はともあれ、この姿勢を終始一貫できたことには、ひとつの達成感を覚えております。
このたびの受賞を嬉しい励みとし、その作家や作品の内包する未来性をも含めて丸ごとすべてを、新鮮な果実のように味わい愉しみ感じ想像する文芸評論をめざし、さらなる勉強を重ねてゆきたいと存じます。
<思想・歴史部門>
池内 恵(いけうち さとし)(東京大学先端科学技術研究センター准教授)
『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社)
ワシントンDCのキャピトル・ヒルに借りた小さな部屋で受賞の知らせを受けました。さまざまな仕事に一区切りをつけ、未だ成し遂げていない仕事に取り組み、将来につながる新たな分野に踏み入る手掛かりを探そうと、米国への三ヶ月の在外研究に出たところでした。心機一転して先に進みだしたところで、これまでの仕事に思いもかけず賞を戴くことになり、強く背中を押していただいた気持ちでおります。
『イスラーム世界の論じ方』は、私が研究者として取り組んできた、三つの異なる、しかし相互に密接につながり合った活動範囲を、含んでいます。アラブ・イスラーム思想史論と、日本の中東との関係をめぐる議論に参加した論説、そしてさまざまな新聞・雑誌のコラムの形で展開してきた中東をめぐる国際政治論です。
一つのテーマについて一冊を通して書き上げた「まとまりのいい」本ではないにもかかわらず、伝統あるサントリー学芸賞に選び取ってくださった選考委員の皆様に、御礼申し上げます。
私は十代の半ばごろから、いつかは文章を書くことで生きていくのではないかと感じていました。その直感は時を経て高まっていくにもかかわらず、ついぞ文章を「書きためる」ということはありませんでした。それは、文章というものは時代と社会に求められることによってはじめて成立すると感じ取っていたからです。
心の中では常に、文章が求められる日のために、あらゆる方向に想像をめぐらせ、準備しておりました。いうまでもなく、気恥ずかしくなるような生意気な、子供の妄想に過ぎません。
長く続いた子供の夢からもようやく覚め、2001年に研究所に職を得て社会人として一人立ちを始めたその直後に9・11事件が起こり、中東とイスラーム世界をめぐって国際政治が激動する中で、時代の要請は極めて具体的なものとして現れてきました。それ以来、イスラーム世界をめぐる時の流れを見つめ、流れの中から世界の像を切り出していく、その作業に従事できることの幸せをかみしめて参りました。この本に一貫したところがあるとすれば、一つ一つの文章がいずれもしかるべき時と場所を得て生み出された、という幸運を背負っていることでしょう。
いつか文章を書いて生きていくのだ、とぼんやりと確信した頃を思い返してみれば、その機会が本当にめぐってきたこと、そして辛うじてでも応えてきたと評価されたことは、奇跡のような偶然のつながりとしか言いようがありません。道が塞がれた、と感じた時に必ずどこからか手を差し伸べてくれた多くの方々に、深く感謝しております。
松森 奈津子(まつもり なつこ)(静岡県立大学国際関係学部講師)
『野蛮から秩序へ ―― インディアス問題とサラマンカ学派』(名古屋大学出版会)
このたびは、栄えある賞をいただき、財団ならびに選考委員のみなさまに、心より御礼申しあげます。また、出版に携わってくださった方々、これまで研究活動を支えてくださった方々に、深く感謝いたします。
『野蛮から秩序へ』の舞台は、大航海時代ただなかの16世紀前半期スペインです。主な考察対象は、インディアス問題、つまりコロンブスを介して出会った「新世界」、ラテンアメリカとのあるべき関係をめぐって生じた諸議論です。
このテーマに出会って十数年、ずっと感じてきた違和感が、本書執筆の動機となりました。それは、一方で、英・米・独・仏中心の思想・歴史研究においては、インディアス問題の重要性が十分に顧みられず、他方で、スペイン・ラテンアメリカ研究においては、「ピレネー以南」や「新世界」の特異性が強調されがちなために、西洋主流の知的伝統との関連がほとんど語られない、ということです。ここから、双方の不足を補ってこそ、より実像にみあったインディアス問題の意義を提示することができるのではないか、という問題意識をもちました。最終的に引きだされた結論は、インディアス問題を通じて示されたサラマンカ学派を中心とする思想は、その後主流となる近代国家論とは別のベクトルをもった「もう一つの国家論」であった、というものです。
この結論にいたる道のりは、かならずしも順調なものではありませんでした。むしろ、主流の歴史(観)を前に、いつも自信のなさと孤独感に押しつぶされそうになっていました。それでも、引きよせられるかのように、次から次へと関連文献に出会い読みすすむうちに、迷いは消えてゆきました。今にして思えば、自分自身の確固とした意志のもとに取りくんできたというよりも、このテーマが発する強い輝きを追いかけるうちに、自然に導かれてきたような気がします。
今回の受賞は、そのような私を勇気づけ、本書の延長上に温めている今後の方向性に対する自信を与えてくれました。初期近代を中心とするスペイン思想には、汲めども尽きぬ埋もれた輝きが、まだたくさん残されています。それらを掘りおこして「主流」に合流させ、定説をより豊かなものにしてゆくこと。それが、日本、スペイン両国で育ててもらった私にできる、ささやかな恩返しではないかと思っています。そして、新たな感性をもった若い世代があとに続きやすいように、道筋を少しでも整えることができればと考えています。
今後の研究・教育活動に大きな励みをいただきましたこと、あらためて厚く感謝申しあげます。
以上
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