ニュースリリース

このページを印刷

ニュースリリース

2009年11月6日

第31回 サントリー学芸賞 選評


<政治・経済部門>

武内 進一(たけうち しんいち)(国際協力機構 JICA研究所上席研究員)
 『現代アフリカの紛争と国家
    ―― ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』(明石書店)

独立後50年程度しか経過していないアフリカ諸国に、冷戦の終結とともに民主化の波が押し寄せ、「民族紛争」が多発するようになった。特にソマリア内戦とルワンダの大虐殺の惨らしさに、世界は言葉を失うほどの驚きを禁じえなかったのではないか。地理的・文化的に遠いアフリカでのこうした紛争や動乱は、われわれ日本人にも人間の集団についての根本的な謎を突きつけている。「暗黒の大陸」、あるいは「歴史のない大陸」とみなされてきたアフリカが、いまや多くの先進諸国にその謎への答えを問うているように見える。単に貿易や投資の相手国としてだけではなく、対アフリカ支援など、アフリカを自国の対外政策の中でどう位置づけるのかも求められているのだ。無論、「関わらない」という選択肢もある。しかしいかなる処方箋を書くにしろ、対応策を選び取る前に、アフリカにおける国家形成の背景と特質を正確に把握しなければならない、武内氏のそうした強い信念と意志力が骨太なアフリカ研究を可能にした。著者の問題意識の確かさと、借り物ではない地道なアプローチは高く評価されよう。
本書第I部は1990年代のアフリカでの紛争を概観し、その特質を抽出している。多くのアフリカの国々は、19世紀末のベルリン会議で一応近代国家の祖型が与えられ、20世紀半ば以降次々と主権国家体系へと移行していった。冷戦下で、これら諸国の統治は、親分・子分関係の域を出ないような政権基盤の上に、国際関係を通して得た資源を国内統治に利用するという性格を持つに至る。「ポストコロニアル家産制国家」と著者が呼ぶこれらの国では、80年代の内外の政治環境の変化、経済危機、そして何よりも冷戦の終結による援助政策の転換によって、脆弱であった「親分・子分関係」が分裂・崩壊へと向う。その崩壊過程で起こった集団の紛争を、単なる「民族紛争」としてではなく、「ポストコロニアル家産制国家」の解体に伴う不可避の現象と捉えるのが、本書における武内氏の仮説とモデル設定である。
この仮説を、1990年代のアフリカにおいて最も暴力的な紛争のひとつであったルワンダを具体例として第II部と第III部で実証する。特に第III部では、独立後のルワンダの内戦からジェノサイドに至る過程が、国家と長期的な社会変容の分析を組み合わせながら丹念に解明されている。当時のルワンダの人口約800万人の内、トゥチおよび反政府勢力のフトゥを中心として、1994年4月からわずか3ヶ月の間に、少なくとも50万人が虐殺されたと推定される。この惨劇が、突如、そして偶発的に起こったものではなく、歴史的に準備されたものであることを明らかにする著者の手法は、手堅く、強い説得力を持つ。
日本の地域研究は、植民地を持ったヨーロッパや、戦後世界で抜きんでた力を発揮した米国に比べると層としては薄く、どちらかといえば現地でのフィールドワークを行うミクロ・レベルの研究が主流であった。特にアフリカ研究の場合、そこから引き出される議論でマクロ政策的な意味合いを持つものは少なかったのではなかろうか。武内氏の研究手法は、マクロな政治の動きとミクロな社会経済の変化の双方を、村レベルの調査と聞き取りを通して実態に迫ったところに特徴がある。土地所有形態をていねいに調べることによって政治構造を浮かび上がらせた世帯調査は、農業経営や内戦時の経験も尋ねており、1999年以降25の世帯を毎年訪問して実現したものである。社会科学研究は「足で歩いて」はじめて迫力と説得力を持つということを見事に示した力作といえよう。

猪木 武徳(国際日本文化研究センター所長)評

<芸術・文学部門>

伊東 信宏(いとう のぶひろ)(大阪大学大学院文学研究科准教授)
 『中東欧音楽の回路 ―― ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店)

本書は中東欧諸国の民俗音楽についての本である、などと書くと、専門家や特殊な愛好家を対象としたマニアックな本だと思われてしまうかもしれない。たしかに、本書の中心的な対象である、ロマ(かつてはジブシーと呼ばれていた)の音楽や、クレズマーと呼ばれるユダヤ人の大衆音楽などの中東欧の村の楽師音楽は、近年いろいろな形で脚光を浴びつつあるとはいえ、音楽文化のメインストリームとは言い難いものだろう。
だが本書を読むと、これらの音楽の周囲にいろいろなものが吸い寄せられるように集まってきて、ひとつながりの世界をつくりはじめることに驚かされる。ストラヴィンスキーのバレエやレハールのオペレッタ、エネスクのヴァイオリン曲やリゲティの現代曲が出てくるあたりはまだ序の口で、シャガールの絵やクンデラの小説までが論の射程に入ってくる。各章の間にはさまれている「コラム」と題されたコーナーになると、多少なりとも中東欧にかかわりのありそうな文学作品や映画が相次いで登場し、その間をかけめぐるうちに、一見バラバラにみえていたこれらの対象の背後に様々な糸が張りめぐらされていることを感じさせられるのである。
それらが結び合わせられる核にあるのは、民族や国家をこえた普遍性を志向するとされてきた「芸術音楽」にも、それぞれの民族固有の音楽とされてきた「民族音楽」にも括られない種類の音楽があり、それらが様々な民族の音楽文化をつなぎ合わせるもう一つの紐帯になっていたのではないかという伊東氏の基本的な問題意識である。中東欧の場合、クレズマー音楽やロマの音楽などは、決して特定の民族を代表するという意味での「民族音楽」であったわけではない。これらの音楽にたずさわった楽師たちは、民族的な意味でも階層的な意味でもマイノリティであり、時に蔑視されたりする一方で、彼らの生業とした音楽は、それぞれの民族の境界をこえて、それらを媒介し、つなぎ合わせる役割を果たしていた。
しかも20世紀に入ってからは、彼らは移民として新大陸に渡り、映画やレコードなどの新しいメディアの担い手となったり、ロシアから満州方面に流れ、中国や日本での西洋音楽の普及に貢献したりといった形で、西洋音楽の輪を非西洋世界へと広げ、それらの諸文化を結び合わせてゆく役割を果たすことにもなったというのである。そう言われてみると、近年日本で見直されているジンタやチンドン屋の音楽など、われわれの身の回りにあってどちらかといえば卑俗な音楽として差別されてきたような種類の「西洋音楽」の響きなどにも、本書で取り上げられているモルドヴァのブラスバンドの響きが二重写しになってきたりするから不思議だ。
「芸術音楽」と「民族音楽」という、これまでの二分法的な固定観念を捨て、そこで取り逃されてしまっていたクレズマー音楽やロマの音楽などに光をあてることから出発しようとする伊東氏の試みは、これまでの音楽史像を書き換えるにとどまらず、それを考えるための思考の枠組みや問題系全体を問い直す、まことに壮大な試みであることは間違いない。もちろん、そんな壮大な野望が一個人のたった一冊の本だけで成し遂げられるはずはない。本書ではそのごく一部が断片的に示されるにとどまっており、そのために審査の席上でも、本としてのまとまりに難があるというような意見も出た。しかし本書を読んだ時の、読み進むにつれて、一見ほとんどバラバラにみえる対象が、民族やジャンルの枠をこえてじわじわとつながり合ってくるスリリングな体験は、著者の壮大な企図が、未完でこそあれ、決して単なる大風呂敷ではなく、十分な説得力をもちうるものであることを証している。

渡辺 裕(東京大学教授)評

藤原 貞朗(ふじはら さだお)(茨城大学人文学部准教授)
 『オリエンタリストの憂鬱
    ―― 植民地主義時代のフランス東洋学者とアンコール遺跡の考古学』(めこん)

本文が500ページで、索引や註がさらに100ページつくという分厚い一冊である。そのなかに、1860年代から1940年代にいたるフランス人のカンボジア・アンコール遺跡の発見と調査と顕揚の歴史が、びっしりと書きこまれている。1967年生まれという著者藤原氏の、この東洋考古学の歴史を隅から隅まで踏破せずにはおかぬという若々しい知的好奇心、などという以上に知的馬力が全編に満ちている。
著者は序章で、この書が「アンコール考古学史の歴史活劇として」読まれることを期待する旨述べているが、その期待は全うされた。学術史のはずでありながら、文章は明快にして雄弁、フランス帝国主義を背にしたオリエンタリストたちの「憂鬱」が彼ら自身の言葉と行動によって実にいきいきと語られてゆく。
フランスがいまのベトナム、カンボジア、ラオスを保護国として「仏領インドシナ連邦」を築くのは1887年から93年にかけてのことだが、すでにその20年以上も前からこの地域の実質的な植民地化は進められていた。その先陣を切って1866年、メコン河流域の踏査に加わり、途上にアンコールの廃墟を目撃して、その神秘の美のとりことなったのが、ルイ・ドラポルトという当時シャム駐在のフランス海軍少尉であった。藤原氏の「歴史活劇」はこのアマチュア考古学者の冒険譚から始まる。
ドラポルトはかならずしもクメール遺跡の最初の「発見」者ではなかったのだが、7年後に再度来訪して、建造物や彫像のかなり精密なスケッチを重ね、遺構の様式分析さえ試みて、アンコールの考古学的・美術史的解明の端緒をつけた。その上に彼は約70点にも及ぶ大小の彫像作品を現場から持ち出して、やがてクメール美術館を創設すべくパリに搬送したのである。この冒険家は植民地からの文化財奪取についてまだ「憂鬱」を知らず、新たなる保護者としての遺跡保全と作品回収の「使命」をさえ説いていた。
以後、1889年にはドラポルト念願のインドシナ美術館が創立され、その約10年後にはサイゴンにフランス極東学院が創設されて、植民地の文化遺産の本格的な調査と研究と教育の活動が開始される。藤原氏はこの学院をめぐる東洋学者・考古学者たちの履歴と業績を克明にたどり、総督府支配と結びついたその政治性を見据えてゆくが、その筆致はけっして単純な告発調ではないのがよい。野心家アンドレ・マルローによるアンコールの盗掘事件などもそこにからんでくるが、さらに面白いのは、インドシナ現地の考古学者たちの調査報告と、本国(メトロポール)パリのギメ美術館に集結してその報告や資料を利用しながらも現場では構想しえぬ普遍的なアジア美術史・考古史を次々に発表していった1920年代の新東洋学のエリートたち、アッカンやグルセやステルヌらの壮麗な業績との間の、齟齬・対立、そして現地側の「憂鬱」の問題である。
その「憂鬱」にもかかわらず極東学院の考古学的成果は大いにあがるが、それとともに大量の発掘品の販売というスキャンダルも広まった。さらに1931年にはパリの国際植民地博覧会におけるアンコール・ワットの精密な実物大復元という、フランス帝国主義の自画自讃と、後々まで残るオリエンタリストたちの最大の「憂鬱」。
ここまで一気に読み進めてくれば、本書が日本帝国の朝鮮支配時代をも含めた、植民地考古学の功罪という近現代史のいまなお尖鋭な、そしてなんとも憂鬱な問題に、たじろぐことなく真向から、可能な限り公平明朗に攻めこんだ研究書であることを納得する。若い著者のこの勇気と力量とがさらにどの方向に展開するか。大いなる期待とともに見守ろう。

芳賀 徹(東京大学名誉教授)評

矢内 賢二(やない けんじ)(日本芸術文化振興会〔国立劇場〕職員)
 『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』(白水社)

矢内賢二氏の本著は、今は忘却の彼方にある明治時代のキワモノ歌舞伎の舞台を通して、五代目尾上菊五郎の知られざる姿を活写している。その筆捌きがまことに鮮やかであると同時に、従来の歌舞伎史の欠落部分を補い、加えて本格的に「西洋」と出会った明治という時代の色や匂いを、読むものにたっぷりと伝えてくれる。芝居好きはもちろんのこと、歴史や文芸や芸能に関心のある人にとっては汲めども尽きぬ興味に満ちた好著であり、受賞を期に、より多くの人の目に触れてほしいと願ってやまない。
本著の主人公である五代目菊五郎は、九代目市川團十郎とともに「團菊」と称され、明治時代を代表する歌舞伎俳優の一人である。というよりも、わが国の演劇史上に残るいくつかの「巨星」のひとつで、その手になる『弁天小僧』や『髪結新三』、『忠臣蔵』の勘平や『千本桜』の忠信などは、今も五代目菊五郎の演技・演出、つまりは「型」が手本になっている。さらには『茨木』や『土蜘』や『戻橋』といった菊五郎創案の舞踊は現行の歌舞伎にとっても重要なレパートリーであり、時代もの、世話もの、舞踊という歌舞伎の全領域にその影を色濃く残している。が、本著がスポットを当てるのは、正統的な歌舞伎史が無視してきたにもかかわらず、当時の観客が熱中したキワモノ歌舞伎、実際の事件や流行の風俗をいち早く仕組んだキワモノ歌舞伎と、その担い手の「キワモノ王」としての五代目菊五郎の生き方である。
そういう目で選ばれたのが男と見えて女だったという役を男が演じる通称『女書生』、幽霊は神経症による幻覚だという説が大勢を占める文明開化の世の中での神経病の幽霊を中心にした通称『箱根の鹿笛』、毒婦を描いた通称『高橋お伝』、箱屋殺しの通称『花井お梅』、外国のサーカス一座に材を求めた『茶利音曲馬(ちゃりねのきょくば)』や軽気球乗りの通称『スペンサーの風船乗り』、彰義隊を扱った通称『上野の戦争』、日清戦争ものの『海陸連勝日章旗(あさひのみはた)』の八本のキワモノ歌舞伎で、これら周辺の豊富なエピソードや世相とともに ── 一例にお伝の遺体の解剖に携わった一人が軍医の小山内薫の父だった ── 、菊五郎がいかに役に取り組んで、それをどう生かしたかが詳述される。その描写力が抜群で、読んでいてわくわくする。ここには床の間に飾る伝統芸術としての歌舞伎ではなく、まさに旬のものを食する「見世物の極み」としての歌舞伎のもうひとつの貌がある。一回の上演で終わって伝承されず、しかし限られた上演にこそ命や輝きがあって、斬れば鮮血を吹き上げるにもかかわらず研究者にそっぽを向かれつづけたキワモノ歌舞伎の分厚い実像……、貴重な「発掘」だと言うべきだろう。
さらに加えるべき著者の功績は、九代目團十郎に比較して語られることの少ない五代目菊五郎の、評伝の形を採って成功していることである。とりわけ死に際しての叙述には思わず胸を突かれるが、ここにいたるまでの構成がよく考えられていて、まるで一夜の「芝居」を見るがごとくだ。
この意味での著者のいい資質の一端が文章力にあるのは疑いがなく、読んで楽しい研究書という離れ業を演じて見事と言える。若さと旺盛な探究心が著者の大きな武器でもあり、今後の一段の飛躍を期待させる。受賞を心から祝したい。

大笹 吉雄(演劇評論家)評

<社会・風俗部門>

秋山 聰(あきやま あきら)(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)
 『聖遺物崇敬の心性史 ―― 西洋中世の聖性と造形』(講談社)

この秋山氏の著書に関して、選者の皆が一致して認めたことがある。それは、日本人にとっては必ずしも身近ではないテーマに対して、この著者が相当な「オタク」的なアプローチをしていること。つまり、一般に知られていない様々な著作や資料にあたって、特殊なテーマに関して詳細に論述しているということだ。研究とは本来そうあるべきだろうが、それを専門家向けとしてではなく一般読者に分かり易く著述している点が、高く評価されたと言える。
また内容的には、聖遺物崇拝という、一見特異な問題を扱っているように見えるが、論じられている内容、つまり宗教と偶像崇拝の問題とか、あるいは聖像や聖画と芸術の関係といった主題は、必ずしも特殊とは言えない。というのは、これまでも各国において、宗教・思想論や芸術・文化論としてこれに関連した問題は様々な形で論じられてきたからだ。つまり、一見特殊な問題をオタク的に論じているように見えて、実はその内容は普遍的なテーマでもあり、本書の考察は古今の文明論の基本問題に通底するアプローチとなっている。評者が本書をたいへん興味深く読むことができたのも、そのためである。
著者が指摘していることだが、聖人に関係した聖遺物とは、通常何の変哲もない骨片や襤褸くずだが、それを「あらゆる黄金よりも価値あるもの」として、聖遺物の容器は凝った造形イメージが与えられ、惜しみなく財力が投入された。となると、これは当然、偶像崇拝に対するタブーの問題に抵触する。イコン(聖画像)崇拝に関しては、それを容認した東方正教会と禁止した西方キリスト教会が対立したことはよく知られている。本書では、西方教会も聖遺物崇拝は認めたという点や、その歴史的経緯、東方正教会との違いなどにも触れられている。キリスト教史の観点から見ても興味深い。
聖遺物や聖遺体の奪い合いから、そのために聖人が殺されたり死体が煮られたりする話は、グロテスクでもある。評者はロシア研究者であるが、ロシアにも聖人の遺体崇拝の伝統がある。それがレーニン廟やスターリン主義の思考法にも結びついていると見ていたので、その観点からも本書には大きな興味が湧いた。
芸術との関連に関しては、聖遺物容器における聖人の具体的なイメージ化が、「芸術の時代」以後は、自由な表現によってその直接的表現性が希薄になったという。そして著者は「芸術の束縛性」から離れて、聖遺物との呼応による直接的なメッセージ性に再び目を向ける意義を強調している。つまり、自由な抽象化から、聖遺物のリアリズムに回帰することの意義に目を向けているのだ。
「神意を伝える者としての芸術家」を自認していたデューラーの遺体が聖物扱いされた話も面白い。著者の芸術観にも関わることだが、本書では聖遺物のイメージ化が、やがて独立して芸術となり、今度はそれが聖遺物扱いされるようになったと指摘している。芸術と宗教は、たしかに霊感とか絶対性という面で共通面が多い。ただ、芸術論に関してはもう少し突っ込んだ考察があれば、さらに奥深い内容になったと思われる。

袴田 茂樹(青山学院大学教授)評

持田 叙子(もちだ のぶこ)(近代文学研究者)
 『荷風へ、ようこそ』(慶應義塾大学出版会)

永井荷風の読者にはこれまで女性は少なかった。芸者や私娼、女給などいわゆる玄人の女を描いてきた荷風は、花柳小説あるいは好色文学の作家と思われていて女性には敬遠されがちだった。フェミニズムの立場からはなど、金で女を買うけしからん小説とみなされた。
これまで荷風を論じた女性は近藤富枝さんなどわずかしかいない。女学生時代にを愛読していたという近藤富枝さんはまわりに荷風を読む女生徒はまずいなかったと回想している。
女性は荷風を読まない。長くそういう時代が続いてきたが、ここに来て、持田叙子さんが登場した。
前著『朝寝の荷風』(人文書院、2005年)で、荷風は女性を蔑視した作家ではなく、むしろ女性たちの作り出すたおやかでかぐわしい世界を愛した作家、「フェミニンな作家」だと指摘した。まさに目からウロコが落ちた。
実に新鮮な視点だった。実際、の玉の井の私娼、お雪さんはなんと愛らしく描かれていることだろう。荷風の分身である「わたくし」が最後、彼女から離れてゆくのは冷酷すぎるという批判があるが、その批判は実は、お雪さんが可憐に、いじらしく描かれているからに他ならない。
「フェミニンな荷風」。本書はその視点をさらに深めてゆく。荷風は女性を愛したと同時に、女性たちが作り出すやさしく美しい世界を愛した。軍人に代表される猛々しい世界に対してあくまでも繊細で優美。
こぢんまりとした庵のような書斎。小さな花の咲く隠れ里のような庭。手作りの原稿用紙をはじめ慣れ親しんだ数々の文房具。
持田叙子さんは荷風の作品をそうした小さな世界から語ってゆく。そこから 「フェミニンな荷風」を描き出してゆく。
荷風は好色というより、女性たちの衣装(とりわけ着物)や香り、あるいは音曲がかもし出す柔らかな世界にこそ溶け込んでいたかったのだという指摘もうなずける。『新橋夜話』の新橋の芸者たちの衣装や化粧の丹念な描写など、荷風は女性になっているのではないかと思わせるほど。荷風は軍人や政治家、権力者などから遠くはなれて、ただ女たちの遊びの世界に夢見るように浸っていたいのだ。
今日、荷風は東京散策者、「歩く人」として語られることが多いが、持田叙子さんはそれに対して「家の中の人」としてとらえているのも面白い。そこから荷風にとっての部屋や庭が着目されてゆく。自然主義の作家たちが描く家の多くが暗く重かったのに対し、荷風の描く家は対照的に風通しがいい。こういう視点での荷風論はこれまでなかったように思う。荷風がつとに、小市民の家の改良を実践したイギリスのウィリアム・モリスに着目していたとは知らなかった。
持田叙子さんは実に丁寧に荷風の作品を読みこんでいる。とくに荷風論では見過ごされがちな初期作品もよく読んでいて、そこから荷風は初期においてはフェミニズムに関心を持っていたと指摘する。これもこれまで語られていなかった。
「荷風」の「荷」は蓮の花のこと。そこから荷風作品に描かれるさまざまな蓮の花を列挙してゆくところもみごとだし、何よりもいかにも楽しそう。
文芸評論はやはり自分が好きな作家について語るのが清朗でいい。賞にふさわしい好著。

川本 三郎(評論家)評

<思想・歴史部門>

池内 恵(いけうち さとし)(東京大学先端科学技術研究センター准教授)
 『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社)

池内恵氏のこの論文集の題名は、『イスラーム世界論』ではなく、『イスラーム世界の論じ方』である。その「まえがき」は、「日本語でイスラーム世界を論じられるのか。そんな疑問を抱きながら、この本に収められた論稿を書いてきた」という言葉からはじまる。それは、イスラーム世界に関してだけでなく、いま国際政治、グローバル社会、現代思想をめぐる有意義で影響力のある言説の大部分が、英語でなされているという現実がある。英語の言説空間の中で発言する人間は、必然的に自分の発言が世界中で聞かれ、検証され、反論される可能性を考慮せざるを得ない。自分の発言に対して責任を負う「当事者」になることを強いられるのである。
だが、日本語でなされる議論は、このような言説空間からまったくといって良いほど切り離されている。「当事者」意識をほとんど共有していないのである。日本から地理的にも歴史的にも遠いイスラーム世界に関してなされる議論は、とりわけこの傾向が強い。本書において池内氏は、日本語での「イスラーム論」は、現地社会の現実にも世界中で闘われている論争にも向き合わず、抑圧されてきた自らの反米感情や西欧コンプレックスを、一方的に「犠牲者」と規定した「イスラーム」に託して解放していく場という役割を担ってきた、と断罪している。
日本において、イスラーム社会の現実と取り組み、イスラーム思想の構造を冷静に分析することは、それゆえ、まさにこの閉塞された日本語の言説空間それ自体を批判していく作業を前提として始めて可能になる。『イスラーム世界の論じ方』を考察することによって、はじめて『イスラーム世界論』が可能になるというわけである。本書の題名は、まさにそのことの表現である。
本書を読み進めながら、私は啓蒙という言葉そのままに、「イスラーム世界」に関する蒙を次々と啓かれていく経験をした。アラブ世界がヒロシマをどう見ているのか。アラブ・メディアの拡大とアラブ諸国の民主化との錯綜した関係。西欧諸国内でのイスラーム教徒統合の困難の中での多文化主義の後退。忌むべき背徳と抗いがたい魅惑をともに備えた女性という、アラブ知識人のアメリカ観。啓示法に基づく宗教領域と世俗法に基づく政治領域とが部分重合した動態的関係としての政教関係。ジハードの目的とは、改宗させることではなく、異教徒による支配権を排除することであり、その背後には、自由な判断の機会があれば当然イスラーム教が選ばれるはずであるという大前提があること、などである。
だが、同時に、日本語の言説空間のひずみを常に意識して書かれた本書は、鋭利な日本社会論にもなっている。優れた異文化論は優れた自文化論でもある、という古今東西の真理が再確認されているのである。
本書の中で、他の論稿とは異質だが私が大変に面白く読んだのは、「周縁の文学」と題された短いエッセイである。『アンデルセン自伝』を、デンマークという周縁の言語文化からヨーロッパの中心の言語文化に向かう人間の物語として読み解く。挫折と虚栄、達成感とともにおとずれる悲哀。それは池内氏も私も含めて、いま世界の中心である英語の言説空間に参入せざるをえない世界中の英語を母語としない人間が経験する普遍的な物語に他ならない。そして、グローバル化の中、そのような人間の数はますます増えていくだろう。
日本の言説空間の中から、このような意味でのグローバル性をもった若き知識人が登場したことを、大いに喜びたい。

岩井 克人(東京大学教授)評

松森 奈津子(まつもり なつこ)(静岡県立大学国際関係学部講師)
 『野蛮から秩序へ ―― インディアス問題とサラマンカ学派』(名古屋大学出版会)

国家を超える政治秩序は、いかなる原理に基づいて構成されるのか。この問いに対する現代における通常の解答は、主権国家体制のもとでの国際法によって与えられる。そして、この主権国家の成立についての理論は、マキャベリ、ボダンからホッブズに至る政治思想の展開のなかで、整理され、確立していった。他方、このような主権国家からなる国際社会の法としての国際法は、グロティウスからヴァッテルなどの国際法学者によって確立されたとされる。ここで前提とされる政治秩序は、それぞれが至高の権利である主権を保持する国家が、対等な関係として同じ法規範のもと相互の政治を秩序していくというイメージで語られる。
しかしながら、現実に展開してきた世界においては、この均質で対等の主権国家が同じ法規範のもと相互作用してきたというイメージは現実に合致しない。国際法を確立していったヨーロッパは、ヨーロッパ外の「他者」に対して、ヨーロッパ内で成立した国際法をそのまま適用したのではなかった。一方において、普遍的原理に基づく国際法を打ち立てつつ、他方において、この原理と背反する侵略行為を行ってきたのが近代ヨーロッパの現実ではないか。これが、現代から見たときの率直な印象ではないか。結局、ヨーロッパが打ち立てた主権平等に基づく国際法と国際政治思想は、ヨーロッパ外における自らの行為に目を閉ざし、ヨーロッパ内部における整合的な体系を作り上げた欺瞞ではなかったのか。
必ずしもそうではなかった、というのが受賞作の主張である。本書『野蛮から秩序へ ―― インディアス問題とサラマンカ学派』によれば、コロンブス以後、ヨーロッパが現在のラテン・アメリカすなわち「インディアス」を制圧する過程で、スペインにおいて同時進行的に行われた知的論争があった。ヨーロッパ人がインディアスで発見した「インディオ」に対して、いかなる法的枠組みを適用すべきか。彼らをスペイン人が支配することは正当なのか。事実としてインディアスを征服したスペインにおいては、当然のことながら、征服を正当とする理論付けが行われた。しかし、この正当化の理論に対して、真剣に挑戦したのが、フランシスコ・ビトリアに代表される「サラマンカ学派」と呼ばれる人々であり、さらにラディカルな批判を繰り広げたのが、ラス・カサスであった。
本書は、このグロティウス以前の国際法黎明期に、異質な人々との間に普遍的な国際法を打ち立てようとする真剣な試みがあったことを徹底的に検証した政治秩序論である。近代を主導してきたマキャベリ、ボダン、ホッブズを中心とする政治思潮に比べたとき、サラマンカ学派の考え方に中世的、神学的側面が残ることは否めない。しかし、ビトリアやラス・カサスは、ヨーロッパ内に思考を閉じることなく、異質な人々を包み込む世界全体に通用する法規範・政治原理は何かということを検討しつくした。そこに時代の制約は当然ある。しかし、本書を読むことで、読者は、極めて現代的な国際規範の問題が、近代の冒頭においてスペインで真剣に行われていたことを知るであろう。
著者は、中世から近代にいたるヨーロッパ政治思想の的確な整理を行いつつ、スペイン語の文献も駆使しつつ、サラマンカ学派からラス・カサスに至る議論の展開を体系的に、しかも分かりやすく分析することに成功している。ヨーロッパにおける国際思潮の分析として世界的にみても貴重な分析が、まず日本語で書かれたことを喜びたい。

田中 明彦(東京大学副学長)評



以上

ニュースリリーストップページへ

このページを印刷