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ニュースリリース

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ニュースリリース

2008年11月12日

第30回 サントリー学芸賞 受賞の言葉


<政治・経済部門>

堂目 卓生(どうめ たくお)(大阪大学大学院経済学研究科教授)
 『アダム・スミス ―― 「道徳感情論」と「国富論」の世界』(中央公論新社)

このたびは『アダム・スミス』に対して栄えある賞をいただき、ありがとうございます。財団および選考委員の皆様に心から感謝いたします。
スミスの時代のイギリスは大西洋貿易を中心とした経済の拡大期にありました。イギリスの政治家や知識人のなかには、軍事力でフランスに勝ることを目的として経済成長を推し進めようとする人もいましたが、自分の利益を追求することに熱心になる個人が増えることは、社会秩序を弱めるのではないかと懸念する人もいました。また、経済の発展が富裕層と貧困層の格差を拡大し、貧困層の生活を一層苦しくするのではないかということも問題にされました。
このような問題に対して、スミスは、『道徳感情論』と『国富論』の二つの著作を通じて、自由な経済活動の拡大が社会秩序を弱めることはないこと、経済成長は雇用の創出を通じて貧困層の状態を改善しうることを示しました。
ただし、これらの結果は無条件に保証されるわけではなく、人びとが、日常的なつきあいのなかで、他人の感情を自分の心の中に写し取る能力、すなわち同感の能力を身につけ、また自分の感情や行為を他人の目で見て規制する習慣をもつことが必要でした。こうした条件が満たされてはじめて、公正な市場が形成され、社会全体に利益をもたらす経済成長が実現されるとスミスは考えました。したがって、自国の経済を発展させようとする政策担当者は、進める政策が人びとの日常的な交流を阻害することのないよう細心の注意を払わなくてはならないといえます。
今日の経済学から見るならば、スミスの経済学は理論的に未熟な点を含んでいるでしょう。また今日の経済システムは、18世紀のイギリスのものとは多くの点で異なるため、スミスの主張のすべてが現代にあてはまるわけではありません。しかしながら、多様な人間性を考慮に入れながら、また歴史的経験にもとづきながら、経済の仕組みを少数の原理によって理論的に説明しようとするスミスの方法、そして、経済理論から導かれる結論を現実の政策に応用するときに、再び多様な人間性と歴史的経験を考慮に入れるというスミスの慎重さとバランス感覚は、経済学を学ぶ人や経済政策を立案する人だけでなく、経済学や経済政策を評価しようとする一般の人にとって参考になるのではないかと思います。
私は、スミスという故人の思想を温めなおして現代に生きる人びとに届けたいと願い、本書を書きました。この試みに対して権威ある賞が与えられたことは、私にとって大きな励みです。今後も、経済学の古典を誠実に研究しつつ、価値あるものを現代に届けたいと思います。

松田 宏一郎(まつだ こういちろう)(立教大学法学部教授)
 『江戸の知識から明治の政治へ』(ぺりかん社)

このたび拙著『江戸の知識から明治の政治へ』に対し、サントリー学芸賞という大変名誉ある賞を頂き、光栄に存じます。財団および選考委員の皆様に心より御礼申し上げます。
受賞作のあとがきにも記しましたとおり、この研究のアイデアが生まれてから一冊の書物にまとめるまで15年くらいの時間がかかっています。今となってはそれほど長くかかった実感がありませんが、はじめの頃に発表した論文の文体や史料の読みなど、現在の自分では納得できないものがあり、この本にまとめる機会を得てかなり見直しました。
ただし発想の骨格は変わらなかったと思います。それは、幕末・維新期の政治思想史上にどんなに天才的な思想家が現われたかを描くのではなく、そこで生まれた思考のプロセスをとらえること、その思考がどのような知的バックグラウンドを踏まえたものかを可能な限り特定し、それが漢文であれ西洋語であれ、日本のものと同じ地平上で扱うこと、すなわち、日本対中国伝統思想とか日本対西洋といった図式を採用せず、思想と思想、テクストとテクストの対話の結果として、変革期の政治思想を解読するということです。
何か積極的に世に訴えたいことがあってこの研究を始めたというよりは、面白そうだが何が起きたかよく分からないから考えてみようとした結果の論考であるため、明確な結論よりは、調べたらここまで複雑にまた多様に議論がからみあっていたことがわかったという、読者に対して大変不親切な研究となっているかとも思いますが、それは偉い人と立派な教訓が苦手という自分の性分に合っていると同時に、本書の中で比較的好意的にとりあげた思想家が持っていた気分にも合っているように思われます。
また政治・経済部門での受賞ということにも格別な感慨があります。私は学生時代からどうも歴史科目が苦手で、いまだに何故自分が日本政治思想「史」を専攻分野としたのかよくわかりません。ただわからない問題(たとえば政治と知識人との関係、「アジア」とは何かetc.)を考えるときに歴史が一番ソリッドな手がかりになると思って仕事をして来ただけかと思います。したがって、拙著が「政治学」の研究であると認められたことは、大変光栄です。
一応本書をまとめてはみたものの、まだ頭の中にぼんやりとある研究プランの途半ばに過ぎません。サントリー学芸賞受賞を、この先ますます深い迷路のような政治思想史の森の中に入り込んでいく栄養源としたいと思います。

<芸術・文学部門>

奥中 康人(おくなか やすと)(大阪大学大学院文学研究科招聘研究員)
 『国家と音楽 ―― 伊澤修二がめざした日本近代』(春秋社)

これまでにサントリー学芸賞を受賞した作品のリストを改めて見返してみると、わたしが大きく影響をうけた著作を何冊も発見することができます。
明治時代の日本における西洋音楽の歴史という、音楽研究の中では決して主流でない領域で研究を進めてゆくにあたって、なかなか思うような成果が出ず、果たしてこれでいいのだろうかと悩んだときに、「その方向性自体は、それほど間違っていないんじゃないかなぁ」と励ましてくれたのが、そうした受賞作品の数々でした。それゆえ、この大きな賞を賜ることは望外の喜びで、何か運命的なものさえ感じます。サントリー文化財団ならびに関係者の皆様には心より感謝申し上げます。
拙著『国家と音楽』は、明治期の教育行政のプロモーター、伊澤修二が主人公です。信州高遠藩出身のエリート文部官僚で、アメリカ留学の後、近代教育制度の創設に携わり、従来はとくに音楽(唱歌教育)にかかわる仕事が注目されてきました。
しかしながら、かれに対する後世の評価は、西洋音楽の側からは、まだ本格的な西洋音楽が理解できずに唱歌のような中途半端な音楽しか作れなかった人物として軽んじられ、日本音楽の側からは、日本の伝統的な音楽を蔑ろにして邦楽を衰亡させた張本人として非難されるなど、あまりよいものではありません。これではあの世の伊澤が浮かばれないだろうと、ちょっと不憫に思ったのが研究に取りくむキッカケでした。
本書をこのようなかたちで執筆することができたのは、ちょうどわたしが伊澤修二に興味をもちはじめた頃に、近代の諸制度が批判的に再検討されはじめ、同時に教育史学や教育思想史、讃美歌や軍楽の研究、アメリカ研究や幕末軍制研究など、それぞれの領域で実証的な研究が充実してきたことがラッキーでした。多岐にわたる伊澤修二の活動が、一本の糸でつながっていることが見えてきたのです。数々の優れた先行研究を組み合わせることによって、これまで音楽の範囲で理解しようとしたために把捉しきれなかった伊澤の業績は、新しく創出される近代国家と、それに相応しい近代的な国民との関係性のなかで理解する視野を得ることができたのではないかと思っています。
もちろん今回の受賞は、わたしひとりの才覚によるものではなく、参照させていただいたすべての先行研究やアドヴァイスをいただいた諸先生方とのチームプレイの成果です。野球にたとえるなら、9回の裏、ツーアウト満塁の場面で代打に指名されたのがたまたま私で、運良くデッドボールをうけて、押し出しのサヨナラ勝ちになったときの、ちょっと気恥ずかしそうにしている殊勲選手といったところでしょうか。

林 洋子(はやし ようこ)(京都造形芸術大学准教授)
 『藤田嗣治 作品をひらく ―― 旅・手仕事・日本』(名古屋大学出版会)

このたびは、栄えある賞をいただくことになり、財団のみなさま、選考委員の先生方にこころより感謝申し上げます。なによりの励みであり、美術について書くことの喜びをあらためて実感しております。
広く知られるように、藤田嗣治(レオナール・フジタ)は、80年を越える生涯の半分以上、母国を離れ、おもにフランスで過ごし、最後にはフランス国籍を取得し日本国籍を放棄した、稀有なる創造者であります。1920年代のパリで描いた乳白色の裸婦と太平洋戦争後半以降の負けゆく日本の姿を描いた戦争画の「落差」、独特の風貌や言動もあって、毀誉褒貶の多い存在です。この『藤田嗣治 作品をひらく』がこのような華やかな賞をいただいたのは、やはり彼を扱ったことが大きな要因でしょう。
そもそも私は学生時代からこの画家を研究していたわけではなく、留学先や職場(美術館)での藤田作品との出会いが続くことで、まるでとりつかれたかのような時間を過ごすことになりました。画家自身が長らく、とりわけ晩年の二十年間、母国との「居心地の悪い」関係を抱き続けたとすれば、また彼に向かい合おうとした数多くの研究者、美術館学芸員、ジャーナリストもまた、長らくさまざまな難題に直面してきました。いかに近年、大規模な展覧会や出版が続いたとはいえ、作品研究に特化したこの本の出版が実現するまでには思いのほか、長い時間を要しました。いまとなっては、それは私自身の研究者、書き手としての成長が求められた時間だったと思えます。長年ご指導いただいた先生方、さらにこの画家が抱える固有の問題――著作権など権利関係の処理、そして出版にご尽力いただいた組織や個人にあらためて御礼申し上げます。
今後の抱負といたしましては、これまで研究を通じて得たご縁やご恩に報いつつ、次世代の藤田研究者に成果を受け渡していきたいと思っております。どのような偉大な芸術家であれ、没後時間が経てばその個人としての資質の記憶は薄れ、この世に残した作品で判断されるようになるものです。藤田は今年2008年が没後40年。そろそろ歴史的な領域(ドメイン)にはいってきたからこそ、長年停滞していた藤田研究の今後の広がりと深化こそが望まれます。
私自身は、今回の著作を通じ、毀誉褒貶の多い画家の軌跡を愚直に10年以上追う――ときに寄り添い、ときに厳しく眼差すことで、ひとりの表現者に寄り添う「作家研究」の魅力と、自らの適性を自覚しました。受賞を機に、よりよき美術・文化領域の書き手となれるよう精進し、学術、歴史研究をなんらかのかたちで今日の、次世代の創造活動に生かし、つなげるような本を書いていければと願っております。ありがとうございました。

<社会・風俗部門>

片山 杜秀(かたやま もりひで)(慶應義塾大学法学部准教授)
 『音盤考現学』・『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング)

映画好きだった。幼稚園の頃から戦争映画や怪獣映画に夢中で、小学生のうちには分野を問わなくなった。特に日本映画にこだわった。近視が進み、外国映画の字幕スーパーを読むのをとても負担に感じたせいもある。
とにかく、観たら必ずスタッフやキャストを分かるかぎり大学ノートに書きつけた。そこから枝葉が広がった。原作本を揃え、関連書に手を出す。小説だろうと歴史書だろうとお構いなしである。俳優に心惹かれれば、その人の出演するテレビ・ドラマや舞台にも接したくなる。たとえば吉田喜重監督の『戒厳令』を観ると、主人公の北一輝なる存在への驚きが日本近代思想史への関心につながり、シナリオを書いた劇作家、別役実への興味から、芝居に通う回数が増える。万事そんな具合だった。
映画音楽にものめりこんだ。幼時から楽器を習ったせいでかえって嫌いになったクラシック音楽に、映画音楽から改めて入門した。欧米は勿論だけれど、日本の映画音楽にも戦前から素晴らしいものがたくさんあると思い、そういう仕事をする作曲家のかなりが実は演奏会用のオーケストラ音楽なども一杯作っていて、これまた面白いのに、世間の評価はどうも低いらしいと、中学生時分には気づき、義憤に駆られるようにもなった。
そうやって、映画も芝居もテレビも音楽も本も、みんな切っても切れなくなり、気にしなくてはいけないものは多くなる一方だった。しかし、何かを除けようとは思わなかった。すべてがつながっていてこそ、すべてに興味を持ち続けられる。どれかが欠けてしまったら、全部がどうでもよくなってしまう。そう思えたのである。
とはいえ、何もかもがつながっていてくれなくては収まらないという、この私の内面の信仰を、他人様にうまく伝達しうるだろうか。大学1年生の冬休み、フーコーの『言葉と物』を読み、これだと思った。そこにはベラスケスやラシーヌやケネーの話が同一平面上でつなげられていた。やりようによっては出来るのである。
大学院生時代から物書きの暮らしに入った。2008年春まで組織に属さなかった。頼まれればなんでも書いた。あるときは思想史研究者、あるときは映画評論家、あるときはコラムニスト、あるときは音楽批評家と名乗った。しかしてその実体は、どんなに狭い入口からでも、出来得る限り過剰に話を広げたい人というつもりだった。
『音盤考現学』と『音盤博物誌』は、クラシック音楽月刊誌に2000年から2008年まで毎号読み切りでちょうど100回連載した原稿を、2冊にまとめた本である。クラシックのCD評という、表向きはいかにも間口の狭い本で、サントリー学芸賞の「社会・風俗部門」という、とても間口の広い賞を頂ける。本当に嬉しい。審査員の皆様および関係各位に深く御礼申し上げたい。

平松 剛(ひらまつ つよし)(ノンフィクション作家)
 『磯崎新の「都庁」 ―― 戦後日本最大のコンペ』(文藝春秋)

サントリー学芸賞。

とてつもなく光栄ではあるけれど、ホントに貰ってしまってよいのだろうか、この私が・・・・・。
ともかく、早速、取材や本づくりでお世話になった方々、それから、友人にも知らせる。すると・・・・・
「おお! おめでとう!! 今、インターネットで検索してみてるんだけどさ、その賞のこれまでの受賞者って、東大の先生とかばっかりだぜ!」
「ヘエ〜、そうなんだ・・・・・」
間もなくサントリー文化財団の方(かた)から昨年度の賞のパンフレットが送られてきた。ぱらぱら眺めると。本当だ。受賞者は例外なく全員揃いも揃って東大か京大を卒業し、その後、あちこち大学の教職に就いておられる方々ばかりである。なにしろ、「学芸賞」だもんなぁ。
ありがとうございます。こんなスゴイところに拙著を加えて下さって。それも、建たなかった幻の建築の話を。
しかし、よく考えてみれば、本編の主人公・磯崎新氏は世界の建築界を代表する抜群の知性の持主です。ノンフィクションとして記録したのが私だったために相当のレベルダウンは避けられないものの、それでも、どうにか最低限のクオリティは保たれたのでしょう。その磯崎さんと今年のはじめ、本の原稿を書き終える少し前に、たまたまちょっと話をする機会がありました。
「磯崎さん、今回の本はいわばノンフィクション・コメディみたいなものになってしまいました。軽いエンターテインメントですので、大学の建築学科の先生とか建築評論家の方々にはきっと顰蹙を買って叱られることになるだろうと思います。今のうちにお詫びしておきます」
磯崎さんの返事はこうでした。
「大学の先生や評論家連中にホメられるような本なんて、そもそも書く価値ないんだから、どんどん怒られるぐらいで、ちょうどいいんですよ。ハッハッハッ」
なるほど、そういうものか。ちょっぴり安心しました。
とはいえ、サントリー文化財団の方々、そして何より、この本を賞に選んで下さった選考委員の皆様、「先生」の肩書きが付くような方々ばかりですが、こんなふうに賞という形でホメて下さる人もいるのだな、ということが、とても心強く、やっぱり本当に嬉しく思います。繰り返し、ありがとうございました。
せっかくですから、この原稿、サントリーの「金麦」とウイスキー「ローヤル  プレミアム 15年」を傾けながら書いているのですが、私はそれほどアルコールには強くありません。もうだいぶ酔いが回ってきました。

<思想・歴史部門>

日暮 吉延(ひぐらし よしのぶ)(鹿児島大学法文学部教授)
 『東京裁判』(講談社)

光栄あるサントリー学芸賞を受賞するにあたって、拙著をお選びくださった選考委員の諸先生、サントリー文化財団の関係各位に心から感謝申し上げたい。
東京裁判の研究を始めて、はや20年余。私は、もともと怠惰で飽きっぽいのに、よくも長いあいだ続けているものだと、われながら不思議に思うほどである。
じつは私は東京裁判の「論争性」が嫌いである。なまぐさく、怨念に充ち満ちた政治的イデオロギーが煮えたぎり、善悪の判断や過度に感情的な議論がうずまいているからだ。それらは私の個人的趣味にどうにも合わない。
しかし東京裁判そのものには、法と政治が連動する政策決定過程、ダイナミックな国際関係、人間の懲罰願望や合理性信仰、戦後日本の政治思想など、興味深い要素がたくさんつまっている。だから、オーソドックスな政治外交史の研究スタイルを徹底すれば、これまでとは毛色の変わった議論も可能になるのではないか。そんなふうに私は素朴に考えて、東京裁判研究に取り組んできた。この点での興味は、まだ尽きることがない。
東京裁判を「日本の邪悪」やら「連合国の偽善」やらと単純化すれば、明快な評価をくだすのは簡単である。しかし、それでは実体の一面を表現するにとどまり、この複雑にして特殊な裁判をありていに理解することにはならないであろう。だから私は、裁判全体を見わたす前に、というか、正直そんな大きな問題を云々する能力もないので、東京裁判を「国際政治」ととらえ、国家・組織・個人の具体的な政策と行動に着眼したのである。
こうして、ただ一次資料をじっくり読み、そして書くという単純作業をくり返してきたのだが、それがいつしか「好きこそ物の上手なれ」めいてきたのかもしれない。
ある世論調査によれば、今日、日本人の7割が東京裁判の中身を知らないそうだが(『朝日新聞』2006年5月2日)、広い読者層を想定して、けれん味なしに現時点での研究成果をなるべくわかりやすく示そうと書いたのが、受賞作品の『東京裁判』である。ただし書き進むにつれて、原稿の枚数がえらく増えた。いや増えすぎた。
それでも窮さずにすんだ。前著『東京裁判の国際関係』(木鐸社)のとき、710頁もあるのに担当編集者がそのまま刊行してくださったが、判決60周年に上梓された今回の『東京裁判』でも、担当編集者は412頁の新書をお許しになったのだ。学術研究に造詣が深くて、懐も深い編集者諸氏の恵みである。恩師、学兄諸氏からこうむった学恩にしてもそうなのだが、私は幸運だと思う。そしていままた、この身に余る栄誉の幸運に恵まれた。
他者から認められることは努力の大いなるインセンティヴであり、励みになる。今後も地道に研鑽を積むつもりだけれど、いまは、つかの間、この晴れがましい喜びに素直にひたりたいと思う。

松木 武彦(まつぎ たけひこ)(岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授)
 『列島創世記 ―― 旧石器・縄文・弥生・古墳時代』(小学館)

このたびは、拙著『列島創世記』に栄えある賞をいただき、ありがとうございました。財団の皆様、選考委員の先生がたに心より御礼申し上げるとともに、この本を一緒に作り上げてきた小学館編集部のスタッフの皆さんと、喜びを分かち合いたいと思います。
拙著は、小学館「日本の歴史」全16巻の嚆矢として、人類が現れた約4万年前の旧石器時代から1500年ほど前の古墳時代までの日本列島の歴史を描き下ろしたものです。専門分化が進んだ近年の日本考古学で、旧石器・縄文・弥生・古墳の4つの時代を通じて叙述する試みはほとんど行われることがありません。私にとっては全精力を傾けての大きな挑戦となりました。
4万年の歴史をぶれなく、偏りなく叙述するためには、一貫した方法と論理が必要です。そこで導入したのが、人間もまた環境のなかで生きる生物の一種であり、そのためにはヒトが進化の過程で獲得した生物学的本質に根ざしてその行動や社会の歩みを説明しなければならない、という「進化考古学」「認知考古学」の立場です。
幸いなことに、執筆期間の前半は、文部科学省科学研究費の在外研究員として、こうした考古学理論のメッカである英国のロンドン大学で過ごすことができました。昼間は大学で研究を深め、夜はパブで本書の構想を練るという恵まれた毎日でした。いっぽう、執筆期間の後半は帰国後のこととなりましたが、学生と一緒におこなった古墳の発掘で未盗掘の石室を発見。きらびやかな副葬品に囲まれて眠る1500年前の酋長が、さまざまなインスピレーションをもたらし、私の筆を後押ししてくれました。理論面でも実践面でもすばらしい時間を執筆に当てることができたことが、本書の完成につながりました。支えていただいた多くの人に感謝を捧げます。
考古学はサイエンスだと、私は考えています。進化考古学や認知考古学は、進化科学という科学全体に共通するグランド・デザインを基礎にして、人類史や日本列島の歴史に新しい枠組を与えるものだと期待しています。このグランド・デザインによって人文科学と自然科学との垣根が取り払われたとき、マルクス以来の歴史学や考古学の大転回が達成されることでしょう。栄えある受賞に感謝をしながら、その日を夢見て、なお研鑽を重ねていきたいと思います。



以上

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