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2008年11月12日
第30回 サントリー学芸賞 選評
<政治・経済部門>
堂目 卓生(どうめ たくお)(大阪大学大学院経済学研究科教授)
『アダム・スミス ―― 「道徳感情論」と「国富論」の世界』(中央公論新社)
亜流が生まれてこそ、異端が出てこその元祖なのだろう。解釈が交錯し、流派が分岐してこその原典であるに違いない。
アダム・スミスも『国富論』もそのような運命を糾(あざな)ってきたように見える。
市場礼賛論の元祖、ハイエクの源流としてのアダム・スミスと、市民社会論の元祖、マルクスの先駆としてのアダム・スミスと、大きく分けて二つのアダム・スミス像が、少なくとも20世紀を通して、混在した。
著者は、アダム・スミスの知と情をより深く通わせることでアダム・スミスの世界を再現させようとする。『国富論』を読み込むに当たって、彼のもう一冊の古典である『道徳感情論』を読み解く。そして、その二冊を合わせ鏡のように用いて、アダム・スミスの思想の最深部の水脈を映し出し、砂漠化する21世紀資本主義世界の地表を潤すべく、思想的滋養を吸いあげようとするのである。
『道徳感情論』で、スミスは人間存在をおおよそ次のように洞察する。
人間を単に利己的な存在と見なすべきではない。人間は、直接自分の利益に関係がなくとも、他人の境遇に関心を持ち、それを観察することで、何らかの感情を引き起こす。他人の感情や行為が適切であるかどうかを判断する心の作用、つまり共感(sympathy)を持つ。同時に、人間は、自分の感情や行為が他人の目にさらされていることを意識し、他人から是認されたい、あるいは他人から否認されたくないと願うものである。
人間とは経済的動物であるとともに社会的動物なのである。そして何よりも「弱い人」なのである。「弱い人」は、最低水準の富を持っていても、そして、さらなる富がさらなる幸福をもたらすとは限らないにもかかわらず、より多くの富を獲得して、より幸福な生活を送ろうと考える。そうした人間の「弱さ」が経済の原動力を生む。しかし、「弱さ」だけでは仁義なき競争をもたらし、経済社会を持続的に発展させることはできない。競争にはフェアプレイのルールが要る。「見えざる手」が十分機能するには「弱さ」は放任されるのではなく「賢さ」によって制御されなければならない。
かくして、(1)市場社会における富の機能の中には「人と人をつなぐ」機能がある、(2)経済成長とは、富が増大することだけでなく、富んだ人と貧しい人との間に「つながり」ができることを意味する、(3)貿易は、言語や文化や慣習が異なるために共感(sympathy)を抱きにくい人々の間の交流を深め、相互依存関係を強める。それによって外国に対する国民的偏見を弱めることができる、という経済思想が導き出される。
著者は、次のような心にしみこむ修辞を用いて、市場と道徳の創造的緊張関係を説明する。
<私たちは、市場の価格調整メカニズムと同様、成長の所得創出メカニズムをも「見えざる手」と呼んでよいであろう。そして、この場合の「見えざる手」とは、貧困と失意の中で苦しむ人びとに自然が差しのべる「救いの手」であるといえる。>
米国駆動のカジノ資本主義が行き詰まり、中国、インド、ロシアの「新興経済」はなお新秩序を作り出せない。そうした時、著者の挑戦は、世界経済の秩序理念を人間の社会的本性に裏打ちされたリアリズムを踏まえて再構築する営みへとつながるはずである。そして、その試みは、利と義、そろばんと論語・・・日本の経済思想と経済倫理の水脈を再びたぐり寄せ、日本経済再生の礎をつくりだす契機ともなるはずである。
船橋 洋一(朝日新聞社主筆)評
松田 宏一郎(まつだ こういちろう)(立教大学法学部教授)
『江戸の知識から明治の政治へ』(ぺりかん社)
徳川体制から明治新政府への激しい政治変動期に、知識や思考力がいかなる意味で統治者の資質や政治指導に影響を与えたのか、そして江戸期日本の知的遺産が、明治以降いかに影響力を弱め、忘れ去られていったのか。本書は、こうした決着のつきにくい難問に正面から丁寧に取り組んだ力作だ。著者が取った手法は、統治のための人材の特質を語りつつ、西洋思想の受容と、受容側の知的・社会的状況を重ね合わせるという柔軟なアプローチである。
本書から読み取れる注目すべき論点をいくつか示そう。教養が政治や行政の実務に役立つという考えに立つイギリスの伝統は、朱子学の理解度を昇進の基準とした徳川幕藩体制の人材選抜装置に通じるものがあった。内面重視の陽明学ではなく、朱子学のもつ政治世界における即物性を肯定した佐久間象山の「実学」思想は、学問の政治化に対して慎重であったという第2章の指摘は説得力がある。
しかし本書の白眉は、第4章の福沢諭吉の「知」の分権論であろう。「知」のエリートの中央政府への一極集中がもたらす問題である。近年、「地方分権」を単なる権限の移譲と予算の独立性として論じる向きもあるが、この種の一面的な地方分権論の危うさは、すでに福沢が、そして福沢が多くを批判的に摂取したJ.S.ミルやトクヴィルが指摘した問題でもあった。現下の日本でも、地方議会、地方政府における人材の問題を論じることなしには、地方分権の健全な姿をイメージすることはできない。この点を、松田氏の文章は穏やかな口調で諭してくれる。
トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』の第一部で、政治的集権と行政的集権の違いにこだわり、アメリカの行政システムがいかに専制的中央集権への傾斜を回避するようにデザインされているかについて多くの紙幅を割いた。administrationの多様性・自立性とgovernmentの一体性を、いかにバランスよく保持するかという点に、アメリカ民主政治の根本があると見たのである。福沢は、このトクヴィルの洞察を日本の問題として論じた。松田氏の筆は、福沢のgovernment とadministrationの集権と分権の問題を、さらに正確かつ丁寧に解きほぐし、統治する側もされる側も、互いにその職分を尊重しなければならないという「職分」思想に基づく国家観が意識されていると指摘したのである。
本書の後半部は、江戸後期から明治初期の知識人たちが、日本社会の歴史的条件や「伝統」として意識される思考習慣を、どのように特徴付けていたのかを検討している。「アジア」「文明」「封建」などの言葉が担わされた政治的な含意を、西洋思想の概念枠組みにとらわれることなく、さりとて「特殊日本的」という言葉に逃げ込むこともなく、ただ淡々と論じている。
本書は、早急に結論を求める読者を苛立たせるかもしれない。しかし著者の用いた手法の独創性は、文字通り博引傍証のスタイルで自らの考えを反芻しつつ暗い坑道を掘り進むという、健全な懐疑と粘り強い思考から生まれたものだ。その姿勢には、多くの学問分野で失われつつある研究者の品位と知的廉直さが感じられ、大いに好感を持った。
さらに松田氏に論じてほしいと評者が願うことは、統治に当たる者の「思想」と「性格」の区別という問題であろう。『丁丑(ていちゅう)公論』で、西南戦争で自死した西郷隆盛を強く擁護した福沢が、それでも西郷の「不学」に触れざるを得なかったことに、統治やリーダーシップにおける「思想」と「性格」の関係の複雑さがあると思うからだ。
猪木 武徳(国際日本文化研究センター所長)評
<芸術・文学部門>
奥中 康人(おくなか やすと)(大阪大学大学院文学研究科招聘研究員)
『国家と音楽 ―― 伊澤修二がめざした日本近代』(春秋社)
音楽には門外漢であるわたしなどでも、現在の東京藝術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の創立に尽力した伊澤修二の名前とある程度の業績は、あらかじめ知っていた。わたしの専門とする演劇の分野に引き付けて言えば、劇作家の飯澤匡がその一族だから――飯澤の本名は伊澤紀と言う――、ほかの音楽関係の人よりも、ある種の親しみを感じていたと言ってもいい。が、ただそれだけのことだった。
近年の一つの傾向として、言語や美術や建築などと、近代日本との関係を探る作業がつづいているということがあるが、本書もまたその一環を形成する。そして他の分野での類書が高い成果をあげているのと同じく、本書もそういう先行研究に引けを取らない。
著者の指摘するところによれば、伊澤の西洋音楽の普及や音楽教育の活動を、文明開化と結びつけて肯定的に評価しようとする研究は「開明派」の側面を強調する傾向が強く、伊澤の国家主義的な活動についてはほとんど言及されない。逆に明治時代から敗戦時までの音楽教育のあり方、なかんずく天皇制に結びついた封建主義的な音楽教育を否定的に見ようとする時には、伊澤の国家主義的な側面を格好の攻撃材料として批判する傾向があって、従来の「伊澤修二研究」は二分されたごとく落ち着きが悪い。そこでそれを払拭すべく着手したのが、本書だということになる。
だから『国家と音楽』はある意味の伊澤修二の評伝でもあり、伊澤は少年のころに故郷である信州高遠藩の鼓笛隊の鼓手として、ドラムを叩いていたというところから書き起こされる。明治維新期のドラムのリズムは、一体何を意味していたのか。
この「西洋の音」と日本および日本人との出会いを求めて、岩倉具視を団長とする欧米への使節団と西洋音楽との接点と受け止め方を探り、次いで伊澤のアメリカ留学に言及するというのが本書の運びで、この場合の著者の視線は、現在進行中のその当時の時間の中に身を置いて、ニュートラルに資料に当たるという点で一貫している。その結果、これまでは見えてこなかったことの本質が視野に収まる。一つが使節団の報告書である『特命全権大使米欧回覧実記』におけるナショナリズムを誘発する合唱の実態であり、一つが伊澤が経験したアメリカにおけるフレーベル教育とその背景である。
こういう解明を重ねてなぜ伊澤が唱歌にこだわり、いち早く学校教育にそれを取り入れることを提唱したかが追及される。文明国のスタンダードである七音音階に対して、五音音階しか持たないわが国の「音」をどう変えていくのか。そのためのメソッドをいかに導入するか。そして国民教育としての唱歌を定着させるにはどうすればいいのか。
これらの問題を背負ってやがて伊澤は国家教育社を立ち上げ、雑誌『国家教育』を創刊する。本書の白眉はこのころの伊澤の国家と国民と音楽(唱歌)との関係を論じた最終章で、前記したような分裂した伊澤像は修正される。
明晰な文章による説得力ある著作で、十分顕賞に値する。改めてお祝いを申し上げたい。
大笹 吉雄(演劇評論家)評
林 洋子(はやし ようこ)(京都造形芸術大学准教授)
『藤田嗣治 作品をひらく ―― 旅・手仕事・日本』(名古屋大学出版会)
2006年6月、京都で二日間にわたって、「パリ・1920年代・藤田嗣治」という国際シンポジウムが催されたことがあった。同時期に東京と京都の国立近代美術館で、藤田の没後初めてといってよい大規模な回顧展が開かれており、それに呼応して企画されたシンポジウムであった(これの組織と運営の実務を担当したのが、本書の著者林洋子氏であった)。私自身も聴衆の一人として、この二日間に参加した。
日仏両国から近現代美術研究第一線の専門家たちが結集して行われた報告と討議は、まことに充実して刺激に富んだものだったが、その最後の総括のときのフランソワーズ・ルヴァイヤン教授の発言が、私には忘れられない。ルヴァイヤン女史といえば20世紀ヨーロッパ美術史研究の大ヴェテランであり、林氏のフジタ研究の指導教官でもあったはずの人だが、その女史がこう漏らしたのである。――「フランスの美術史学界では、長い間、フジタを研究することにいつも一種の<居心地の悪さ>(マレーズ)がつきまとっていた」と。
林洋子氏が本書のなかで「藤田研究と言う難問」と呼んでいるのが、まさのこの「居心地の悪さ」に当るものでもあるだろう。画家藤田の活動の場が、1920年代の「エコール・ド・パリ」以来のフランスを中心とはしながらも、北米・中南米にも大きな足跡を残して画風の転換を経験し、第二次大戦の戦前戦中の日本では東京のみならず沖縄から秋田にまで及んで旺盛な制作を示したこと。つまり半世紀余りの間に三つないし四つの文明圏を渡り歩いて画業をなしとげたことは、ヨーロッパ側からのみの視点ではとうていおおいつくせない「具合の悪さ」、「難問」を突きつけるものであったろう。
その上に、藤田にはパリ時代から半ばは自作自演のスキャンダルも多かったし、日本でも戦前には売国奴のごとく扱われたり、戦後には「戦争画」制作の代表責任を押しつけられたりという不愉快が度重なった。それらはみな、研究者にも、時代環境と画家の心理の両方の襞に立ち入ることを強いる難問であった。藤田はこの活動空間の広大と時代の波瀾のなかを貫いて、実は驚くほど勤勉に画業に打ちこみ、たえず画法に工夫を重ねたことを、私たちは本書によって知り、はじめてその全貌を眺めることができるのだが、その間にも彼の作品の質の浮沈に当惑することはあり、さらにその画業の利用と引用に対する未亡人からのきびしい規制という超難問も長い間これに加わっていた。
著者林氏は当然これらの「居心地の悪さ」を自覚しながらも、それゆえに一層の熱意を燃やして、15年余にわたって藤田作品とその技法の周到な調査を進め、一次・二次資料や先行研究の博捜を行ってきた。そしてなによりも、東西の異文化間での、また表現技法やジャンルの間での、たえざる越境者であり超越者であった藤田嗣治という日本人先達へのみずからの熱い共感によって、「難問」の一つ一つを克服し、ほぼ全面的にこれを解決した(『アッツ島玉砕』他の記念碑的な戦争画については、さらに自由で立ち入った解釈を望みたい気持は残るにしても)。それが600頁に近いこのたびの大著である。
実は藤田自身も一生涯、どこにいても「居心地の悪さ」を感じつづけていたのかもしれない。だがそれこそが、結局は、82年の彼の越境者かつ愛国者としての生涯の、豊麗な創造の原動力となっていたのであろう。そのことを「作品をひらく」との題名のとおり、藤田の作品一つ一つに即して明らかにしていった本書は、まさに力わざといってよい。サントリー学芸賞にふさわしく文章は明快。半世紀前のパリで中学同窓の先輩として知った藤田画伯晩年の白髪と満面の笑みを思いおこしつつ、本書を広く読書界に推輓(すいばん)するものである。
芳賀 徹(東京大学名誉教授)評
<社会・風俗部門>
片山 杜秀(かたやま もりひで)(慶應義塾大学法学部准教授)
『音盤考現学』・『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング)
音楽評論は文芸評論や美術評論に比べると難しい。なにしろ音は聞くそばから消えていってしまうのだから。
その音楽評論をこれほど面白く、楽しく読ませる本はそうはないのではないか。豊富な知識、大きく偏った好み、マンガや映画などの多様な引用、なによりも自分の好きな作曲家や作品を紹介したいというおおらかな肯定の意志が素晴しい。
まず驚かされるのは私など知らない作曲家や作品が次々に登場すること。
音楽評論だからバッハやベートーヴェン、モーツァルトらメジャーな作曲家や、フルトヴェングラーやカラヤンのような名指揮者が論じられるかと思いきや、片山杜秀氏が熱をこめて語るのは、マイナーな音楽家たち。
最初に紹介されるのは、日本の現代の作曲家、西村朗の「ヴァイオリン協奏曲第一番《残光》」。恥しいことに西村朗の名も「残光」も知らなかった。
そのあと次々にこんな名前が登場する。
ルトスワフスキ、ルイ・アンドリーセン、金井喜久子、川島素晴、細川俊夫、キラール、ノーノ、ハリー・パーチ、シチェドリン・・・・・・よほど現代音楽に精通している人でないと知らないのではないか。クラシックといえばドビュッシーあたりでとまっている人間にはみんなはじめて知る音楽家だった。
固有名詞になじみがないとその評論は読む気がしないのが普通だが片山杜秀氏の文章は、分かりやすく、エピソードも豊富、何よりも朗らかで(たとえ暗い曲を語る時でも)、まったく知らなかったこれらの作曲家の曲を聴きたくなってくる。
氏の最初の音楽体験は子供の時に見た怪獣映画だったというのが面白い。怪獣映画を何本も見ているうちにそこに流れる音楽が好きになり、やがて「ゴジラ」の作曲家、伊福部昭にたどりつく。モーツァルトでもベートーヴェンでもなく伊福部昭からすべてが始まったというのがユニーク。13歳の時には、伊福部昭作曲の「交響譚詩」を聴きに東京文化会館に出かけている。そして大学生の時にはじめて伊福部昭本人に会うことが出来、そのあと、幸運なことにこの作曲家の語る回想の聞き役になる。
伊福部昭からクラシック音楽に入ったから自ずと好みはマイナーな作曲家に向かう。レコードも満足に出ていないような作曲家たち。「名演を探す以前に、そもそも曲を知ることさえできない。とても悲しくて辛い気持ちだった。子供心にマイノリティの苦悩を一身に背負ったつもりになった」。マイナーひと筋のその心意気やよし。
伊福部昭をはじめ日本の作曲家たちに多くのページを割いているのも好ましい。「海ゆかば」やカンタータ「海道東征」(作詞は北原白秋)の作曲家、信時潔を語るところは熱がこもっている。その系譜の最後に坂本龍一の名が出てくるところは目からウロコ。
氏はまた映画好き、それもやはりマイナーな日本映画に注目する。石原裕次郎主演の日活の青春映画「若い川の流れ」にショスタコーヴィチの「ヴァイオリン協奏曲第一番」が使われていたなんて知らなかった!
マイナーな音楽家を語る時の片山杜秀氏の文章は本当に喜びにあふれている。旧ソ連の、人を驚かせるのが大好きな作曲家ロディオン・シチェドリンについての文章を読むとすぐにでもそのCDを聴きたくなる。
先日、12月に来日するシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラのチケットを買った。片山杜秀氏の文章を読み、これはぜひと思ったからであることは言うまでもない。
川本 三郎(評論家)評
平松 剛(ひらまつ つよし)(ノンフィクション作家)
『磯崎新の「都庁」 ―― 戦後日本最大のコンペ』(文藝春秋)
平松剛氏の本書は、社会・風俗部門の選者の多くが強く推し、討議の結果全員が一致して受賞作に選んだ。平松氏はノンフィクション作家であり、ジャンルとしてはこの作品もノンフィクションと言えるが、内容的に今日の社会、文化の問題に深く切り込んでおり、単なるノンフィクションの範囲を超えるものとして、この部門の受賞作に選ばれた。
本書のテーマは、東京都庁建設の設計競技(コンペ)をめぐるもので、入選した丹下健三と競って落選した磯崎新をフォローしたものだ。共に世界的に有名な建築家であるが、著者も早稲田の建築学科を卒業して建築事務所で働いた経験がある。したがってこのテーマは著者にとって特別の思い入れがあっただろう。
コンペは過去の実績から9社の設計事務所が指名されて設計を競ったが、磯崎アトリエはその中では最も小規模で、しかも人間磯崎の個性ゆえに最もユニークな設計事務所である。著者が入選者ではなく落選した磯崎に焦点を当てたのは、彼のユニークな個性と人間的な魅力ゆえであり、また神格化された丹下健三については、すでに語りつくされているからだろう。
本書は、記念すべき大型建築の設計コンペを内側から綿密に描いたもので、内容的にはこの分野の素人には立ち入り難かったと思われる興味深い事柄もたくさんある。かつて建築を専門にした著者ならではのものと言えよう。磯崎新については、その生い立ちから最近の活動までが丹念にフォローされているが、バックグラウンドとして、著者の視点は日本の建築学の歴史から日本や世界の建築文化論、都市文化論にまで及んでおり、本部門の受賞作に相応しい内容となっている。
本書のハイライトは、磯崎と丹下の感性や設計思想の違いを浮き彫りにしている点だ。磯崎は東大の学生時代に建築学助教授だった丹下を指導教官としているが、本書で描かれる両者の違いは鮮明だ。コンペでは丹下が国家の力を誇示するゴチック風の高層建築案を正面に出したのに対して、モダニズムの建築家磯崎の案は横長のプラットフォームの形をした低層型に丸いドームがついたものだ。
丹下は戦時中に皇居から富士山を結ぶ「大東亜道路」を軸とし、伊勢神宮や京都御所の神社風を念頭においた「大東亜建設記念造営計画」を作成した。東京都庁舎として期待されたのも、日本の首都の象徴として、また国力を示すものとして、堂々たる権威の建物であり、丹下案はそれに合致するものだった。
一方、磯崎は戦時中もリベラルを貫いた東大仏文科教授の渡辺一夫の家に戦後書生として住み込み、戦後の日本を代表する知識人や文化人たちと交友を持った。そもそもモダニズムは既成の権威やアカデミズムに対するアンチテーゼとして生まれたものだ。評者も磯崎がマレービッチやタトリンなどロシア・アヴァンギャルド芸術にたいへん造詣が深いことをよく知っている。磯崎が1967年に初めてモスクワを訪問した時、彼が捜したのは、革命時代のロシア・アヴァンギャルドの建築だった。
一時は最有力のロシア大統領候補の一人と見られたモスクワのルシコフ市長は、権威と力を重んじる政治家として有名だ。彼が訪日したとき最も強い印象を受けたのは、丹下設計の東京都庁の建物であった。個人的な話の中で、モスクワにもあのような市庁舎が欲しいと述べていた。平松氏の本書を読むと、これらのことも十分納得できるのである。
袴田 茂樹(青山学院大学教授)評
<思想・歴史部門>
日暮 吉延(ひぐらし よしのぶ)(鹿児島大学法文学部教授)
『東京裁判』(講談社)
東京裁判に関して、現時点で、最善かつ最もわかりやすい歴史分析の書である。東京裁判については、従来から、これを肯定的にとらえる見方、すなわち「文明の裁き」であったとの見方と、否定的にとらえる見方、すなわち「勝者の裁き」であったとの見方が対立してきた。著者は、このような単純な二元論的な見方を排し、できる限り事実に即して、東京裁判の実態に迫ろうとしている。
著者の立場は、しかしながら、一切の価値判断を行わないというものではない。著者は、国際政治の現実のなかで、日本という観点のみから東京裁判を見るのでなく、国際法の進展、戦争の現実、安全保障上の考慮などに着目しつつ、東京裁判の実態を位置づけようとしている。著者のとる立場は、「『文明の裁き』だからといって、東京裁判を全面肯定したり戦前期日本を全面否定したりしなければならないわけではない。逆に『勝者の裁き』だからといって、東京裁判に意義を認めてはいけないわけでもない。」という文章に現れている。
特に重要な本書のメッセージは、東京裁判が、「勝者」であるアメリカなどにとって、広い意味での「安全保障」のための措置であったということであり、そして、東京裁判受け入れは、吉田茂ら当時の日本政府にとっても、日本の「安全保障」のための措置であったということである。正義をもたらすという意味での裁判という側面が重要でないわけではないが、まさに、裁判という形をとることで、将来的に戦争を抑止しようとしたのが勝者の側の判断であった。他方、敗者としてのコストを最小にさせつつ戦後秩序の形成者であるアメリカとの協調を実現する手段として東京裁判を受け入れるというのが日本政府の判断だった。勝者と敗者との国際政治の判断の結節点が東京裁判であった。
しかし、本書は、このような大局的な見方を提示する一方、これまで十分明らかにされてこなかった東京裁判のいくつもの側面に光を当てている。評者にとって興味深い分析は、A級戦犯の量刑の決定過程の分析であった。死刑判決を受けた者は、「平和に対する罪」の全般的共同謀議のみが理由で、死刑になったのではないと著者は言う。著者の分析によれば、死刑判決に関して決定的だったのは「重度の残虐行為」に責任があったかどうかであった。「平和に対する罪」という事後法で死刑を量刑することにはためらいがあったということであろう。
さらにまた、パル判事に関する叙述も簡潔で適切である。彼の法理論がそれほど特異であったわけではないこと、それに比して彼の事実認定がきわめて強引であったこと、そして、当時のインド政府が彼の立場を嫌っていたこと等が示されており、東京裁判におけるパルの位置づけを考える有益な分析となっている。
最後に、東京裁判後の戦犯釈放過程の分析も有用である。この部分は、叙述的にいえば、ややわかりにくく細部にわたりすぎているように読める部分である。しかし、釈放に最終的に同意したアメリカなどの思惑がいかなるものであったかを明らかにした本書のこの部分の価値は大きい。東京裁判否定論のなかには、最終的に戦犯釈放をアメリカが許容したのは、アメリカでさえ裁判の不当性がわかっていたからだというような説があるが、本書の分析を読めば、アメリカにそのような意図がありうべくもないことが直ちにわかるのである。アメリカが戦犯釈放に同意したのは、もっぱら、国際政治の現実の中での損得であった。
田中 明彦(東京大学教授)評
松木 武彦(まつぎ たけひこ)(岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授)
『列島創世記 ―― 旧石器・縄文・弥生・古墳時代』(小学館)
複数の著者が時代別に分担執筆する「日本の歴史」は、これまでに何種類も刊行されてきましたが、その第一巻目に当たる前文字時代編というのは敬遠してしまうケースが多かったように思います。理由は、考古学というものに対してある種の偏見を抱いていたためです。つまり、考古学からは、「人間が見えてこない」か、あるいはその逆に「過剰に見えてくる」からです。「人間が見えてこない」というのは、科学的データに偏重する結果、前文字時代人であろうともホモサピエンスであるという事実が忘却されてしまうためで、「過剰に見えてくる」というのはルソー的な先史時代ユートピア説によってデータに余計な意味を付与することからきています。縄文社会は平等社会で、弥生社会の農耕文化から不平等が生まれたとするような考え方は後者の典型といえます。
本書は、小学館版の「全集 日本の歴史」の第一巻で、当然、前文字時代が対象ですが、私がこれまでに抱いていたような偏見を完全に吹き飛ばしてくれる快作といえます。
画期的な理由の一つは、著者がヒトの心の普遍的特質の理解をもとにヒトの行動を説明する「心の科学」(認知科学)の提起を受けて、前文字社会においても、石器や土器などを作ったのはわれわれと同じ同じホモサピエンスである以上、石器や土器に共通に見られる「凝り」、つまり文様だとか左右対称だとか精緻な調整剥離などの実用を超えた余計な要素は、ある種の美的表現であり、その美により自他の区別を主張しようとする社会的メッセージを発していると考えた点にあります。なぜなら、その社会的なメッセージこそが物質文化を誕生させ、社会関係の複雑化を生み出していった一つの要因であるからです。
もう一つの画期的な理由は、天候の長期変動という要素を前文字文化の解読に十分に活用した点です。たとえば、地球の温暖化が東北と北海道に縄文前期文化を開花させたのに対し、地球の寒冷化が西日本に縄文後期文化と弥生文化を誕生させたというのは通説になっていますが、著者は、後者の場合、寒冷化という環境変化に対する人間の対応という「内からの弥生化」が強く関係しており、「半島からの渡来者が北部九州に水稲農耕の文化を伝え、それが西日本や東日本へと広がった」という「外からの弥生化」だけでは縄文から弥生への移行は説明しきれないと鋭く分析しています。
また、縄文時代は平等な社会だったという縄文ユートピア説に対して、縄文後期に入るとモニュメントや道具に平等原理の観念が現れるのは、寒冷化などの環境変化により、「そのような原理をおびやかすような関係が、社会のなかに強まっていたからだ」とする「理念と現実のねじれ」説をぶつけているのも十分に説得的です。
さらに、環境が一定している限り、模倣や反復などの保守的な方法が用いられるが、寒冷化などの変化要因が出てくると「模倣でなく、独創性や洞察力によって、環境の変化により適応した新しい行動」を取る必要が生まれ、それが、環状集落への集住から分散居住への移行を導いたとする環境適応説も認知科学の成果をうまく活用したものといえます。
最後に、理想化されたのでもなく、矮小化されたのでもない、「ありのままの人間」が見えてくる画期的な考古学が「日本の歴史」のトップを飾ったことを率直に喜びたいと思います。これは、日本の史学にも新しい風が吹き始めた兆候かもしれません。
鹿島 茂(明治大学教授)評
以上
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