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(2007.11.8)
第29回 サントリー学芸賞 選評
<政治・経済部門>
飯尾 潤(いいお じゅん)(政策研究大学院大学教授)
『日本の統治構造 ―― 官僚内閣制から議院内閣制へ』(中央公論新社)
日本の政治はどこか他の国と違うと感じる人は、専門家以外にも多い。政治学者も、長年、その特色を説明しようとしてきた。その結果、政治の様々な側面について、多くの研究が蓄積されてきたが、日本政治の全体像となると、強く推せる研究は多くない。飯尾氏の著書は、その書名が示すとおり、日本政治の核心部分について包括的な分析を加えたものである。平易な叙述の中に、多くの斬新な考察を散りばめ、かつ今後の改革の方向をも示した、すぐれた著作である。
誰でも知るとおり、現代の民主政治は大統領制か議院内閣制であり、日本は後者に属する。しかし日本の議院内閣制は、他の国々のそれと大きく異なっている。
著者によれば、それは第一に明治以来の「官僚内閣制」の伝統から来ている。官僚内閣制というのは、非難でも皮肉でもなく、きちんと定義されており、職務分担を原則とする官僚制度が、首相のリーダーシップを制約し、閣僚は各省庁の代理人となるような内閣制度のことを指している。
日本の官僚は、それぞれの分野において、それなりに民意を吸収し、政策を立案する能力を持っていた。その結果、民意は省庁を通じて、部分的に代表されてきた。これを著者は「省庁代表制」と呼んでいる。しかし、このシステムは、省庁の枠を超える事項に関しては、うまく行かない。官僚内閣制のもとで、統一性と包括性をもった政策は生み出されにくかった。
官僚内閣制は、新憲法で議院内閣制が導入されたにも関わらず、生き残った。そして、自民党の長期政権が、また新しい特徴を付け加えることになった。自民党は官僚に依拠しつつも、長年の政権担当の中で、独自の政策決定能力を形成し、政策決定および実施プロセスに介入するようになった。このように、与党が内閣から独立性をもったアクターとなるのは、日本の大きな特徴である。著者はこれを「政府与党二元体制」と呼んでいる。
ここでも、自民党政治はそれなりに民意を反映し、時代の要請に応じて、政策を変更してきた。しかし、当然ながら自民党の基盤を脅かすような政策転換や、政治責任の明確化は行われてこなかった。
1990年以後の政治改革の背景にあったのは、官僚内閣制と政府与党二元体制が限界にきたことである。世界の大きな変化に対し、ダイナミックな政権交代が可能なシステムでなければ、対応することができない。日本の課題は、現在のシステムを議院内閣制として完成していくことだと、著者は主張する。
私は、現代日本政治の分析のためには、1.政治の原則についての適切な知識、2.諸外国の政治についての広い知識、3.近代日本の政治についての深い知識、そして4.現在の政治の現場についての詳しい情報が、必要だと考えている。これらをすべて持つことは至難の業である。とくに私のように近代日本の政治と外交を専門にしているものからみると、3についてはなはだ物足りない人が多い。飯尾氏は、現在、このいずれにおいても十分な知識を持つ数少ない政治学者である。
著者はすでに『中央公論』や『論座』に頻繁に執筆し、現代政治の確かな解説者として、高い評価を受けている。本書は、その背景にある学問的蓄積を示すものであり、日本政治の在り方を議論する上で必読の書といっても決して過言ではないと考える。
北岡 伸一(東京大学教授)評
土居 丈朗(どい たけろう)(慶應義塾大学経済学部准教授)
『地方債改革の経済学』(日本経済新聞出版社)
本書は最近注目を集めている地方財政の諸問題の中でも地方債制度について、その歴史、現状を分析し、将来に向かっての制度改革を提言する意欲的な著作である。
小泉内閣主導で進められたいわゆる「三位一体改革」では、国庫支出金の削減、地方交付税の総額の抑制、他方で税源をこれまでよりも地方に移譲することによって地方分権を促進することが目標とされた。しかし、相対的に経済力の弱い自治体では移譲された税収増は少なく、削減された国庫支出金を補えない。この結果、地方債増発で当座をしのぐという恐れも出てきているが、地方債制度は「三位一体改革」では真剣な議論の対象とならなかったのである。こうした中で2006年には夕張市が財政再建団体となることを申請し、実質的に「破綻宣言」をした。
本書を通じて指摘される地方債制度の問題点は、地方債の元利支払に対してさまざまな形での国の援助が存在し、制度の隅々に国の関与が浸透している結果、地方サイドでは借手意識が乏しく、自己規律が欠如していることである。
様々な政府資金で地方債を引き受けたり、通常の利払い費のためだけでなく、財政再建団体認定後の財政運営に際する交付税の活用を通じて国は地方を援助してきた。この意味で日本における地方債には元利金支払に関する国の「暗黙の補償」が付与されており、利子率の自治体間格差が存在しない。いわば自治体が地方債の利払いが出来なくなるという事態への対処を国税の納税者が、お互いにリスクシェアしている。
こうして地方における公共投資を支えた地方債の90年代からの大幅な増発は大量の地方債残高の積み上がりとして財政を圧迫している。地方債を大量に引き受けた財政投融資制度も2001年以降大きく改訂され、これまでのような機能は期待できない。そこで著者は国税納税者ではなく、市場による地方債のリスクシェアリングを導入すべきだと主張する。市場による監視、自治体による責任ある財政運営、地方債発行を促進すべきだということである。諸外国ではこうした運営が一般的である。
本書の以上のような主張は、土居氏によるさまざまな綿密な実証分析によって裏付けられている。それは、以上のような制度が財政力の弱い自治体に相対的に多めの暗黙の補助金を配分してきたという実証分析であったり、債務累増を防ぐ早期是正措置があまり有効に機能してこなかったという分析であったりする。実は背後にあるこうした地道な分析の積み重ねが、本書にまとめられた著者の研究の優れた点であり、読者に安心感を与える。
地方債制度に市場原理を導入せよという著者の政策的主張は方向感としては正しいものだろう。しかし、その場合財政力が弱く基礎的な行政サービスの提供にも不安を覚えるような自治体はどうすべきか。これまでは地方債の「暗黙の保証」を通じて国からの所得移転が行われていたわけである。この点、著者はやや短絡的に「国から自治体に対して財政移転を行うことで解決できよう」としている。しかし、移転の方法は地方債を通じるものを含めて多様であり、それぞれに長所短所がある。地方債を財政移転の場にしてしまえば、債券市場の市場機能を活かすことが出来ないが、他の手法にはまた別の問題があるだろう。とりもなおさず、これは「四位一体改革」の分析が必要ということを意味する。こうした点にまで著者の視野が広がることを期待したい。
植田 和男(東京大学教授)評
<芸術・文学部門>
河本 真理(こうもと まり)(京都造形芸術大学比較藝術学研究センター准教授)
『切断の時代 ―― 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』(ブリュッケ)
世界は拡大し表現は増大する。20世紀芸術を一言でいえばそういうことになる。世界がたんに地理的に拡大しただけではない。表現領域も拡大した。写真や映画やビデオが登場しただけではない。19世紀までは表現行為と見なされていなかったものまで表現行為と見なされるようになったのである。ハプニング、パフォーマンス、インスタレーション、環境芸術そのほか。こうして、ニューペインティングがポストモダンという語と合体した1980年代以降、現代芸術なるものを包括的に見ることじたいが、ほとんど放棄されるようになった。マルクス主義のような大きな理論が消えたためだなどという説もあるが、そんなことはない。世界の拡大と表現の増大に人間の能力がついていけなくなったのである。
長くそう思っていたが、『切断の時代』を読んで考えを改めた。20世紀芸術の歴史もまた書かれうると思わせられたのである。表現の全領域を扱っているわけではない。20世紀美術の、それもコラージュを中心に扱っているにすぎない。だが、ここではこのコラージュという方法が20世紀芸術を貫く精神と見なされているのであり、実際、その観点からならば20世紀芸術もまたひとつのまとまりとしてあると思われてくるのである。
質、量ともに学術書を思わせるが、読みはじめると熱気に巻き込まれて抜け出せなくなってしまう。冒頭、アラゴンのコラージュ論が引かれ、一瞬身を引くが、シュルレアリスムからキュビスム、ダダイスムへと馳せ上り馳せ下ることによって、あっというまにこの古風な立論を歴史の座標にピンで止めてしまう。そしてコラージュが何よりも意味のずらしであることに注意を促してデュシャンの「レディ=メイド」へと焦点を移し、そこでさりげなく「レディ=メイド」は20世紀が「ピカソの世紀」であったとともに「反ピカソの世紀」でもあったという事実を示唆するのである。凄まじい速度だが、凝縮した叙述は壷をはずしていない。
その印象は、続いて、グリーンバーグ、クラウス、サイツ、カプローら、アメリカの批評家のコラージュ論を分析してゆく過程で決定的になる。批評家の人柄まで分かる。同時にヨーロッパからアメリカへと中心地を移した20世紀美術の流れを浮き彫りにもしている。
白眉はクレー論。クレーが生涯にわたって、いったん完成されたと思われた200以上の作品を鋏やナイフで切り取って新たな作品としていた事実を紹介し、それらのうち組み換えられて再構成された作品を「分割コラージュ」と呼ぶように提案している。クレーの作品をコラージュの名のもとに論じることじたい異例のこと。一度完成した作品がどのように切断されどのように再構成されたか、クレーの頭脳を覗く思いである。ベンヤミンの絶筆『歴史の概念について』で有名になった作品『新しい天使』を論じた部分も素晴らしい。この作品はコラージュではないが、クレーの「分割コラージュ」的精神を念頭に置くと置かないとでは作品の見え方が違ってくるのである。ベンヤミンの精神と呼応するのもまさにそこにおいてなのだと河本氏は示唆している。
河本氏はシュヴィッタースを論じるにヴァーグナーの総合芸術概念からはじめているが、20世紀におけるコラージュという主題からいえばむしろマーラーからショスタコーヴィチにいたる引用と切断の手法のほうが関連は深いだろう。演劇においても寺山修司やピナ・バウシュの舞台が思い浮かぶ。最後はラウシェンバーグで終わっているが、本書の守備範囲はさらに広いと思わせる。
文字通りの力作である。
三浦 雅士(文芸評論家)評
三浦 篤(みうら あつし)(東京大学大学院総合文化研究科教授)
『近代芸術家の表象 ―― マネ、ファンタン=ラトゥールと1860年代のフランス絵画』
(東京大学出版会)
三浦篤氏の『近代芸術家の表象』は、「マネ、ファンタン=ラトゥールと1860年代のフランス絵画」という副題に示されるように、一方で第二帝政後半期のフランス美術界の歴史を、マネとファンタン=ラトゥールという二人の画家の活動、特にファンタン=ラトゥールの集団肖像画の徹底した分析とその社会的意味づけという新しい視点から捉え直し、他方では同じ頃、この二人のみならず、ルノワール、ドガ、バジール、カロリュス=デュランなどによって、それまでになく多くのさまざまな芸術家像が描かれたという事実に注目して、これらの作品を単に美術史の枠組のなかだけで理解するのではなく、より広く文化的、社会的文脈のなかで見直すことによって、従来にない新しい歴史像を提示しようとした野心的な試みである。そしてその試みは、「近代芸術家の表象」という中心テーマを設定することによって見事に成功し、充実した内容を持つ労作を生み出した。
これまで19世紀における美術の歴史は、社会的になお大きな権威を保っていたアカデミー派の芸術と、それに飽き足らず新しい表現を求めた前衛芸術との対立、抗争としてもっぱら捉えられて来た。その対立は、サロン(官展)を拠点とするアカデミーに対抗して、そのサロンから締め出された前衛派が自分たちだけの個展やグループ展を開くようになったという事実に端的に表われている。そのこと自体はたしかにその通りだが、しかしそのような対立のみを強調することは、歴史の豊かさを見失わせる虞がある。従来、1850年代が「レアリスム宣言」と個展の開催によって大きな反響を呼んだクールベの活躍した時代と捉えられ、1870年代が印象派登場の時代として規定されたのに対し、そのあいだにはさまれた1860年代がいささか曖昧な性格づけにとどまっていたのは、そのためである。事実、この時期の最も重要な画家であるマネは、社会的スキャンダルを惹き起すほど大胆な新しい表現を試み、印象派の仲間たちともきわめて親しかったにもかかわらず、そのグループ展に参加することを拒否して飽くまでもサロンにこだわったし、ファンタン=ラトゥールもその重要な作品をすべてサロンで発表していた。そのかぎりでは「サロン派」ということになるであろう。三浦氏はそのような「保守」対「革新」という単純な二分法をしりぞけて、この時期の芸術家像を「芸術家集団としての自己主張」、「芸術家の生活と交友」、「芸術家の肖像」、「制作の場としてのアトリエ」という四つの視点から多角的に分析し、社会の変化とともに絵画も大きく変りつつあったこの転換期の新しい美的価値観を説得的に論じている。作品そのものの分析と、当時の新聞、批評、手紙、大衆版画などさまざまの資料の徹底した調査に基く多くの新知見、例えばマネの《芸術家》についての解釈や、1860年代の芸術家たちに対して「ポスト・レアリスム」という新しい概念を提案していることなど、美術史に対する重要な寄与であり、本書の大きな功績と言ってよいであろう。
それと同時に、放浪の芸術家ボヘミアンについての幅広い論述に見られるように、文学、音楽、社会史にまで視野を拡げて歴史の全体像を捉えようとする試みは、充実した内容とともに多くの知的刺戟を与えてくれる。堅実な調査と新鮮な問題意識に支えられた優れた人文学的労作の誕生を心から祝福したい。
高階 秀爾(東京大学名誉教授)評
山本 淳子(やまもと じゅんこ)(京都学園大学准教授)
『源氏物語の時代 ―― 一条天皇と后たちのものがたり』(朝日新聞社)
来年、2008年は『源氏物語』が書かれてちょうど一千年というので、それを記念する行事が京都と東京ですでにさまざまに企画されている。山本淳子氏のこの受賞作でも終りに近いところに引かれている『紫式部日記』の寛弘5年 (1008)11月1日の条、それがこの「源氏物語千年紀」の典拠となっている。
その日、宮中では、一条天皇とその二人目の中宮で藤原道長の娘彰子との間にようやく生まれた子供敦成(のちの後一条天皇)の誕生五十日を祝って、盛大な宴が催された。大勢の公卿が招かれて宴が進み、酔いもまわって席が彰子の御簾近くに控える女房たちのところに移されてやや乱れ始めたころ、中納言藤原公任きんとう)がそこに姿をあらわし、紫式部のほうに目をやりながら「失礼。このあたりに『若紫』さんはお控えかな」と声をかけたというのだ。
藤原公任といえば、王朝文化が絶頂を極めていた一条帝時代にあっても、飛びきりの才子、第一級の知識人。だが紫式部は、自分の物語の大切な女主人公紫の上をこんなふうに酒の肴にされたのが心外だった。「光源氏に似た殿方も目に付かないのに若紫がいるもんですか」と、公任の呼びかけを無視した、というのが著者山本さんの解釈である。
実に面白い。これで『源氏物語』の何帖かが当時すでに書き終えられ、宮廷内で評判にもなっていたことが確証されるのだが、著者はこの『紫式部日記』や道長の『御堂関白記』はもちろんのこと、藤原実資さねすけ)の『小右記』、一条帝の最もよき忠臣で書の三蹟の一人でもあった藤原行成の『権記ごんき)』など同時代の日記類、それに同じ一条帝の中宮定子に仕えた清少納言の『枕草子』、赤染衛門の筆とも伝えられる『栄花物語』、また『大鏡』などの文学作品をも、自由自在に、まさに適材適所に、しかもすべて著者自身の現代語訳つきで使いこなして、一条帝在位二十五年間(986〜1011)の宮廷の生活と文化の歴史をいきいきとよみがえらせてゆく。『源氏』千年紀を前にして私たちが待ち望んでいたのは、まさにこのような卓抜な啓蒙の一書であった。
先帝花山天皇の突然の出奔から話は始まり、そのあとをうけて一条天皇が即位したのは数えでわずか七歳のとき。摂政藤原道隆の娘定子を中宮に迎えたのは元服してすぐの十一歳のときだった。一条帝は三歳年上で従姉にあたるこの妻、高貴で優雅で明朗でしかも知性と教養をたっぷりと身につけた美貌の定子に、やがて心底からの「純愛」をささげたと著者は言う。その闊達な後宮の生活は『枕草子』などを巧みに使って描かれるが、この「清涼殿の春」は長くはつづかなかった。定子は父を失い、実家の兄弟たち(伊周これちか)、隆家)の権勢からの失墜にも遭って、運命がにわかに暗転するなかにも、一条の愛をうけて三人の子を生んで死ぬ。
最愛の妻の宿命に苦悩しながら、急速に上昇する道長の勢力にも賢く対応する一条帝の孤独。幼くしてこの「叡哲欽明えいてつきんめい)」の帝のもとに入内し、彼の心のうちをよく察しては、女房となった紫式部に漢詩を学び、式部とともに『源氏物語』を美しい冊子に仕立てて帝に贈り、ひたすら夫に寄りそってゆこうとする中宮彰子のけなげさ。それらを山本女史は「資料に耳を澄ますこと」によって、まことに情感深く語りつくした。一千年前の平安京の一隅にいとなまれた貴族文化の洗練と、その貴族たちの生活のなまなましさが、生彩ある叙述によってここによみがえった。そして紫式部も実はこの一条朝のただなかに生きることによってこそ、あの物語の伝える人間性洞察の鋭さ、「もののあはれ」の自覚の深さを得たのだろう、と著者は言う。
読む者を魅了してやまない才媛の書である。
芳賀 徹(京都造形芸術大学名誉学長)評
<社会・風俗部門>
福岡 伸一(ふくおか しんいち)(青山学院大学理工学部教授)
『生物と無生物のあいだ』(講談社)
「生物と無生物のあいだ」は、生きものに本当に興味を持ち、それに正面から向き合った人には、かならず浮かぶ疑問である。かつて同じ表題の書物があったはずである。
でもその疑問を持ち続ける人は少ない。いわゆる専門分野に入ってしまうと、木は見るが、森は見なくなる。木を精細に見ることが成功を意味するような学界が、社会的に成立しているからである。
著者は細胞生物学の若き学徒として、アメリカの研究室に赴く。そこでさまざまな人に出会い、さまざまなことを学ぶ。そこに描かれる人々の群像が、読み手を強く引きつけてしまう。
叙述が生きているのは、それが著者自身の体験に発しているからである。自分が学んできた過程を通じて、現代生物学の歴史を読者に伝えること、これはできそうで、なかなかできない。科学は客観性の名において、しばしば個を消そうとするからである。教科書的という言葉が生まれる所以であろう。しかし学問は結局は個人が背負う。世に思われているように、学界が背負っているのではない。
理科系ではない選考委員から、文章がいい、品があるという評があった。その通りだと思う。適度の抑制を効かせ、しかも感情(熱情?)をまじえて語るのは、科学の分野では簡単にはできないことである。著者のその面での才能は貴重である。これまでの著作だけではなく、今後の活躍が期待される。
この本に登場するパラーディに、私は日本で二度会ったことがある。最初のときには、私は大学院の学生だった。一緒に箱根や鎌倉を旅し、わずか数日とはいえ、多くのことを教えられた。ただし生物学の話は一切していない。第二次大戦の帰結に話が及ぶと、パラーディは急に能弁になった。連合軍はあそこまでドイツを追い詰めてはならなかったというのである。その人がもはや歴史になっていることを思うと、時代の動きの速やかさを思う。
現代の生物学に欠けがちだったものは、著者が動的平衡と呼ぶ主題である。日本の多くの生物学者は、その欠落に気づいていた。なぜなら日本は西欧型生物学の辺境だからである。そこから見れば、中心に欠けているものが、案外よく見える。「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。」
日本の生物学者たちは、それをさまざまな別名で呼んできた。中村佳子は生命誌、具体的にはゲノムと呼び、池田清彦は構造主義と呼び、さらに多くの人はシステムと呼んでいる。著者の考えも、大きな意味では、あるいは乱暴にいえば、その流れの中にある。私はそう思う。一つの遺伝子をノックアウトしたマウスは、しばしば「正常に」生きていく。それに驚いた科学者たちは、いつの間にか西欧型の思考に慣らされていただけのことであろう。しかし進化を考えれば、それでよいはずである。たった一つの部品が壊れたら使えない機械に、何億年の命が保てるはずがない。
本書のすべての叙述は、最後の一文に向かって集約していく。これは見事である。「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。それは実のところ、あの少年の日々からすでにずっと自明のことだったのだ。」
養老 孟司(東京大学名誉教授)評
ヨコタ村上 孝之(むらかみ たかゆき)(大阪大学大学院言語文化研究科准教授)
『色男の研究』(角川学芸出版)
「色男」……現代の感覚では、“女性にもてる男性”、つまりは男性の羨望のまと?あるいは、“遊び人”として、女性にはあまりよいイメージはない? いや、「色男」には、そんな薄っぺらな印象とは異なる深遠な文化的背景がある。『源氏物語』『伊勢物語』等の古典文学から、歌舞伎、井原西鶴、為永春水等の江戸文芸、さらには、明治文学から現代のマンガ、雑誌記事にいたるまで、様々なメディアに現れた「色男」の表象を分析しながら、本書はその豊かな文化史をとき明かす。
経済力や容貌よりも、小唄や三味線、踊りなどの芸に通じていることが「色男」の条件であったという指摘は、「色道」が江戸文化の真髄のひとつとなった理由を的確に言い当てている。江戸の遊女は単なる売春婦ではなく、芸によって評価されるのが本来であったが、同じことは男性にもあてはまったのだ。「色ごと」が単なる性の交わりではなく、芸道や詩作を通じた男女のコミュニケーションであったことが、「色」を「道」へと高め、江戸文化の洗練を生み出した。現代の花柳界の客に、自ら芸事をたしなむ男性が少なくなった事実(せいぜいカラオケ?)は、著者の語る「色男」の衰退を端的に物語っていよう。
コミュニケーションは双方向であることが重要で、「色男」の衰退は、現代の「恋愛」の「ディスコミュニケーション」に結びついている、と著者は論じる。肉体を否定し、精神を偏重した近代の「恋愛」は、「肥大した自意識、孤立した内面、身体の拒絶」をもたらし、結果、『電車男』のヒットにみられるような、現代の「オタク」のコミュニケーション不全に結びついた。本書は、歴史書であると同時に現代の社会批評でもある。
文明開化以降、近代日本に広まった「恋愛」は、「好色」や「色好み」よりも「進化」したものとして賛美され、実際、今でも、「色」をいかがわしいものと感じる価値観は存在しているが、愛は受動的な感情ではなく自覚的に《参加する》もの、というフロムの議論を援用しながら、日本と西洋に共通する近代恋愛の脆弱性を指摘する著者は、むしろ、「色男」の世界にこそ学ぶべきものがあると説く。
これは決して、“伝統”の無条件な礼賛でも、過去へのノスタルジーでもない。「おちる」ことがよしとされる「恋愛」は、民主的であると同時に独善性を正当化するが、テクネに磨きをかける「色道」には、少なくとも、女性と対話しようとする意思がある。そこに「近代恋愛を超克する…ヒント」をみる著者の「色道」の再評価は、恋愛論という狭い枠組みをこえ、コミュニケーション論、近代化論としても興味深い。
「色男」の美学である「すい」や「いき」は、装いに気を配りながらも、決して見せびらかすことなく、社会を無視せず、かつ超然と一線を画している点で、西洋の「ダンディー」に通じるという。相互に影響関係が認めにくい、この二つの文化現象の類似性から、著者は、貴族制から民主制への移行という、政治、経済の変容と、心性の変化の関係をも浮かび上がらせる。色男とドン・ファン、ヒモとジゴロとの異同など、洋の東西の男性像の比較から、それぞれの文化と歴史の比較に至る本書は、文明論としても特異な存在感を放っている。
セクシュアリティ、ジェンダーについての新たな議論は、女性の側から提示されることが多いが、日本における「男性学」の発展にも、本書は寄与することであろう。
佐伯 順子(同志社大学教授)評
<思想・歴史部門>
宇野 重規(うの しげき)(東京大学社会科学研究所准教授)
『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社)
私のようなフランス19世紀を専門にする者にとって、冷戦体制崩壊以後のトクヴィルの劇的な復活、とりわけアメリカにおけるモテ方は、いま一つ解せないものがありました。なぜなら、私にとって、トクヴィルといえば『旧体制と大革命』であり、『回想録』であったはずだからです。
そこで、トクヴィル関係の本を読んでみますと、取り上げられているのはたいていが『アメリカのデモクラシー』であり、上に挙げた二著にはほとんど言及されていません。それはあたかも、フランス人(及びフランス専門家)にとってのトクヴィル(革命に対する保守的な理論家)と、アメリカ人(及びアメリカ専門家)にとってのトクヴィル(デモクラシーの開明的な擁護者)と、二人のトクヴィルがいるかのような印象なのです。
本書は、こうした両国におけるトクヴィル像の分裂に注目し、「トクヴィルがフランス人という異邦人の目でアメリカ社会を観察し、つねに自分の祖国との対比においてアメリカを理解しようとしていた」という事実を再確認するところから議論を起こしています。
つまり、トクヴィルは、片方に不平等が所与として存在していたフランスを置き、もう片方に平等という前提から出発したアメリカを置いて両者の検討を行い、デモクラシーはアメリカのような社会だからこそ可能になったとしながらも、しかし、そこで生まれた平等化という志向は決して特殊アメリカ的なものではなく、いずれ、フランスを始めとするヨーロッパでも不可逆的な趨勢となって現れるだろうと予言したのです。
この予言は、階級社会のヨーロッパでは長い間、非現実的なものと見なされていたのですが、冷戦構造の崩壊とマルクス主義の衰退によって従来的な枠組みが崩れたことにより、ヨーロッパでも一挙に現実性を帯びてきたのです。トクヴィル流行の理由はここにありました。
著者は、こうした意味において、トクヴィルこそは平等と不平等の問題をあらゆる角度から捉えて、そのメリット・デメリットを徹底的に考え抜いた「平等と不平等の理論家」であるとみなし、トクヴィルがデモクラシーを原理とする平等社会の孕む弱点に対して示した処方箋を個々に検討していきます。
すなわち、第一は、均質性原理である「デモクラシー」はむしろ異質性原理(結社・伝統習俗・宗教)と結びついたときにより健全になるとする方向性です。
第二は、デモクラシー(とくにアメリカン・デモクラシー)の特徴である自己利益の最大化(権利の観念)の中にこそ、デモクラシーの自己矯正力を求めるべきだとする方向性です。
従来のトクヴィル論では、トクヴィルは第一の方向性を模索した思想家と目されてきたようですが、著者はむしろ、トクヴィルは後者の方向性を採用したと考えます。
「トクヴィルは『デモクラシー』社会の抱えるさまざまな困難を直視しつつ、だからといって非『デモクラシー』的なものによって、これを抑止しようとはしなかった。むしろ、あくまで『デモクラシー』の内在的な論理を重視し、これに何らかの作用を加えることで、『デモクラシー』をより良いものにしていくことを選んだのである」
このトクヴィル解釈は、グローバリズムの弊害が叫ばれ、第一の方向性が主張されている昨今、極めて魅力的なものと映ることでしょう。とりわけ、超越的な倫理観を持つスーパーマンを期待しがちな日本人にとっては。
鹿島 茂(共立女子大学教授)評
納富 信留(のうとみ のぶる)(慶應義塾大学文学部准教授)
『ソフィストとは誰か?』(人文書院)
「哲学」が西欧から輸入されて一世紀半近くになるわが邦で、ソフィストについて書かれた、これがまだ二冊目の本なのだという。一冊目は1941年に刊行された田中美知太郎の『ソフィスト』。日本の哲学研究はなぜソフィストを回避してきたのか。「哲学まがい」のものにすぎないと思いなされてきたからである。西洋の哲学史家の弁舌に従って。
この本の著者は、知的いとなみとしての哲学は「ソフィストではない」というかたちでしか自己規定できないし、逆にソフィストの存在も哲学者への挑戦としてしか意味をもたないと言い切る。ソフィストの言論は、哲学の影でもなければ未熟な哲学なのでもない。それを象徴するのが、哲学者ソクラテスはソフィストとして処刑されたという逆説的な事実である。
ソフィストというのは、よく言われるように、懐疑主義、相対主義、不可知論といった哲学説の一つではなく、「哲学」という枠組みそのものを消去ないしは相対化するという目論見をもった、「哲学という営みへの対抗、挑戦、パロディ」であると著者はいう。これに応えきるなかで哲学は「哲学」という名の知的いとなみとして生成する。その意味で、「ソフィストを消し去ったこの二千年にも及ぶ哲学史は、その実、哲学が成立していない状況、哲学が名のみさまよう舞台であったのかもしれない」と、著者は断じる。
凄い問いかけではあるが、哲学者が哲学研究者というかたちで「専門家集団の内輪のパズルへと回収されて、象牙の塔のなかの遊戯と化してしまう」その後の哲学の行く末に思いをはせると、これはいまも「教育産業」の一翼をになう哲学への厳しい自己批判になる。そう、哲学者こそソフィストではなかったのか、と。それほどにソフィストの存在は、「哲学にとって一筋縄では扱えない、底知れぬ深淵」なのである。
著者は、古代ギリシャ文献についての驚くべき読解能力を駆使し、一方で、哲学者からみたソフィスト像を描きつつ、他方で、哲学の枠組みを前提とせずに、ソフィスト、とくにゴルギアスと(日本ではほとんど論じられたことのない)アルキダマスの言説を解読する。重層論法や枚挙論法、即興演説の分析がそれである。
「叙事詩や悲劇の言説を模倣し、自然科学の知見を利用し、裁判や審議の場で実践的に活躍し、抽象的な理論を駆使して自らの立場を表明する」というかたちで、そのつどの弁論の場で、領界を越境し、それらをかき混ぜ、ひいては知の総体を揺さぶる、その言論の力こそ、ソフィストの真骨頂であった。その場での判断を留保し、無時間的な真理や普遍性を標榜する「哲学」の真摯な語りの、そのレトリカルな存立をこそ問いただす者としてソフィストを描く著者には、果てしない論争というかたちで問題を永遠に先送りしてきた哲学のあり方こそ「理性の危機」ではないかという思いがある。
多元主義と相対主義のせり上がり、(パラダイム論や解釈学、人類学的認識といった)知を歴史的・文化的に相対化する動向、言語行為論や脱構築論……というふうに、《ソフィスト問題》は、そうとは名づけられることなく、現代思想の中核に潜む問題を突き刺してきた。それはわたしたちに「哲学」の可能性を根底から問いなおすことを強いている。そのあたりのもっと踏み込んだ発言を、著者から今後もっともっと聞きたくおもう。
鷲田 清一(大阪大学総長)評
以上
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