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ニュースリリース

(資料2)

第26回サントリー学芸賞 受賞の言葉


<政治・経済部門>

川島 真(かわしま しん)(北海道大学大学院法学研究科助教授)
 『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会)

 「十年ひと仕事」。学部時代の指導教官の言葉である。修士課程から中国外交档案(とうあん)に耽溺しておよそ十年。20世紀初頭の外交官たちの目線で「中国近代における外交の意味」を考え、そして「なぜ中国は中国でいられるのか」という学部卒論以来の問いに向き合い、「地域・外交(国際)・歴史」という三要素から、絶学とされた「中国・外交・史」に挑もうとしてきた。
 この間、外交档案との向き合い方に迷いがなかったわけではない。「中国近代史」の先行研究には反映されてない外交档案の膨大な「事実の束」を、そのまま雑誌論文にすることへの躊躇から、あえて先行研究に絡むテーマを探して公刊したりした。だが、「締め切り」という「論文の母」は「事実の束」に正面から向き合うことを求めて博士論文の提出を促し、さらに3年を経て、心から信頼できる厳しい編集者や助成団体の方々に背中を押され、本書の公刊に至った。他方、分析の目線も常に流動化していた。外国語学部の地域研究から文学部東洋史学科、法学部政治学科へと移る中で、「地域・外交・歴史」三者のバランスは常に動き、中国研究以外の世界、特に社会科学との対話に刺激され、逆に北京・台北滞在時には政治文化論的な思考が強まった。また、「档案から離れるように」と指導教官から諭されたときにも、なかなか「档案の海」から陸に揚がれなかった。だが、迷いの中で一貫していたこともある。第一は、マルチアーカイブ方式を採るよりも史料群としての中国外交档案に向き合おうとしたこと。第二は、20世紀初頭の中国外交をめぐる言説にまとわりつく、弱国無外交、軍閥傀儡(かいらい)などの「価値の束」に、「事実の束」で向き合うおうとしたこと。第三は、現代中国外交は強く意識しつつも、議論を現代と直結させ安易な歴史決定論に傾くことを避け、同時に中国特殊論にも過度の一般化にも距離をとろうとしたこと。
 十年を経て内外の学界の様子はずいぶんと変わった。中国外交史研究も「珍獣」だけが取りくむ「絶学」ではなくなってきたようである。迷いとともにあった拙著の受賞は、「絶学再生」への強い励ましである。自分自身にとっては、次の「十年ひと仕事」、これこそが問題となるのだろう。だが、むしろいまは「戒急用忍」。またあえて「档案の海」に溺れながら、そこから次を考えてみたい。
 最後に、この十年間、迷いをわかちあい支えてくださった全ての方々に感謝し、喜びもまた分享していただくことを願いながら、受賞の言葉を締めくくりたい。

国分 良成(こくぶん りょうせい)(慶應義塾大学法学部教授)
 『現代中国の政治と官僚制』(慶應義塾大学出版会)を中心として

 サントリー学芸賞受賞の通知をいただいた瞬間、私の頭の中はまるで蝶が舞うようだった。かなり以前から、サントリー学芸賞の受賞作品にある種の「華」を感じていた。自分の作品がそれだけの価値があるのか、いまでも確固たる自信はもてないが、感激はひとしおである。数ある著作の中から拙著をお選び下さった選考委員の先生方には、ただただ感謝、頭の下がる思いである。
 私は外見が若づくり(と本人は思っている)で、ときおり年齢を偽ったりもしているが、本当のところは、大学に職を得て学者としてスタートしてからまもなく25年のベテランである。ということは、遅咲きと言えば聞こえはいいが、要は才能が足りないのである。私に残された選択肢は時間をかけ、あきらめずにコツコツやるしかない。こうして今回、サントリー学芸賞の受賞平均年齢を上げてしまい、しかも本物の気鋭の受賞の機会を、私が一人分奪ってしまったことになる。
 今回受賞対象となった『現代中国の政治と官僚制』のあとがきで、構想から完成までに20年近くかかったと書いた。アメリカ留学中にテーマの構想ができあがり、すぐに資料収集を始めたのが1984年だからである。ただ20年かけたにしては、厚みに欠ける。問題関心がさまざまに飛び、このテーマに集中して研究を重ねることができなかったからである。あとがきに「この長い旅に一応の終止符を打ちたい」と記したのはホンネである。
 受賞理由には「『現代中国の政治と官僚制』を中心とした著作活動を対象に」とある。私はこれを含め単著は全部で4冊、このうち学術書2冊に啓蒙書2冊とそれほど多くない。それに比して多いのが編著であり、英語を含めて現在13冊ある。たしかに、これまで意識的にコーディネーターに徹することで、日本の中国研究の裾野を広げたいとの思いはあった。
 しかしそのコーディネートの仕事も、個人の実績が基盤となることは言うまでもない。サントリー学芸賞を受賞して力尽きてしまったと言われないよう、心して精進したいと思っている。少なくとも、次の著作まで20年はかからないようにしたい。

<芸術・文学部門>

田中 貴子(たなか たかこ)(京都精華大学人文学部助教授)
 『あやかし考 ―― 不思議の中世へ』(平凡社)を中心として

 自分の足下を見ながら山の尾根をこつこつ歩いていると、いきなり目の前に山小屋があらわれた。今回の受賞の知らせを聞いて、頭に思い浮かんだのはそんなシーンでした。
 次々と「一般書」ばかり出版する私の研究活動は、今までの国文学の常識からいえばとても「こつこつ」といった言葉には当てはまらないと思われそうですが、いかに「浮いている」ように見られても、本人にとってみれば「こつこつ」としか言いようのない、ここ二十数年でした。「悪女」だの、「ファザコン」だのいった軽々しい題名の本を書くことは、旧来の国文学研究から見れば「これは国文学ではない」といわれるのがおちでした。「そんな本ばかり書いていたら、学会から相手にされなくなるよ」という忠告を受けたのは再三でした。
 しかし、私のなかではすべての研究はどこかでつながっていると思っていました。数年前から意識し始めたのですが、私の研究の柱は三つあると感じています。一つは、『渓嵐(けいらん)拾葉集(しゅうようしゅう)』を中心とした中世仏教文学の研究、二つ目は、『〈悪女〉論』に始まる女性と文学という研究、そして三つ目は、『百鬼夜行の見える都市』に集約された怪異と王権という研究です。はからずも、今回受賞の中心となった『あやかし考』には、この三つの柱がそろって取り込まれていました。小さな文章を集めたこじんまりした本ですが、一つ一つの文章には遊び心も取り入れて工夫した楽しい思い出があります。
 これから自分がどうなって行くのか、どのような研究をするのか、あえて決めることはやめにしたいと思います。既成の国文学の枠にとらわれない、広い知見を持ちたいと願うとともに、それが既成の国文学の分野でも認められることがあれば幸いだと思っています。
 さて、冒頭の山小屋は、私にひとときの安らぎを与えてくれました。しかし、これが到達点ではありません。山小屋を出た私は、また再び歩き出すでしょう。歩くことに日々喜びを感じながら。
 最後になりましたが、選考委員の先生方、サントリー文化財団のみなさまにあつく御礼申し上げます。

原 研哉(はら けんや)(グラフィックデザイナー、武蔵野美術大学教授)
 『デザインのデザイン』(岩波書店)

 「デザインを言葉にすることはもうひとつのデザインである。本書を書きながらそれに気づいた。」受賞対象となった本の冒頭にこんな言葉を書いた。デザイナーの仕事の中には、デザインという概念を社会の中の相応しい位置に置き直すという局面もある。最近ではその重要さを感じることが多い。そうしないとデザインという仕事がやりにくいからだ。
 まわりを見渡すとデザインではないもの、あるいはデザインとは正反対のものがむしろデザインと呼ばれていることが多く、デザイナーという職業にたずさわる身としては困った状況が続いている。デザイン家電、デザイナーズマンション、デザインTシャツ、デザイン時計・・・。デザインの本質からはむしろ遠い感じのする街が「デザイン都市」などと称しているのも釈然としない。ただし、本質をはずしてはいるものの、これらの呼称がデザインに対する前向きな期待の現れでもあるという点が一層この状況を複雑にしている。
 そういう状況にうんざりして、デザイナーという看板をおろして、別の肩書を考えたことも何度かある。しかしながら、簡単に肩書きを変えるのはインチキくさいし、自分が長年大事にしてきたデザインという概念を不本意な解釈の側に明け渡してしまうのも残念に思われた。
 「デザインのデザイン」はそんな状況で書いた本である。だから、当初は「それはデザインではない」という書名にしようと考えていた。ところが、それではあまりにネガティブに過ぎるし「それはナントカではない」というタイトルの本は案外と多いという指摘を編集者から受けた。
 次に考えた書名は「なぜ今、デザインなのか」というものであった。デザインが担う役割が社会の中で加速度的に拡大している今日の状況に焦点を合わせたつもりである。しかしこれも納得してもらえない。奥歯に物の挟まったような表現ではなく「これがデザインです」というくらい潔く行ってほしいという。「デザインのデザイン」という書名はそんな風に、尻をひっぱたかれるようにして生まれてきた。
 今ではすっかりこのタイトルが気に入っており、おかげで冒頭で述べたとおり、批評としてのデザインも自分の仕事の一環と思えるようになっている。受賞の知らせがそういう状況で届いた。デザインの世界よりももう少し遠いところに向けて発した書籍だったので、それを受けとめていただけたことが大変うれしい。別の意味では、書き手としての免許証をもらったような気分で、少し遠くまで歩く勇気をいただいた。

<社会・風俗部門>

黒岩 比佐子(くろいわ ひさこ)(ノンフィクションライター)
 『「食道楽」の人 村井弦斎』(岩波書店)

 昔から評伝を読むのがとても好きだった。それも、欧米の評伝作家による綿密な取材に裏打ちされて書かれた本。二段組の重厚な本。読み終えるのが惜しくなるような本である。図書館に通っては、伝記コーナーの前に立ち、この棚の本を全部読みつくしたいと思っていた。自分でも評伝を書いてみたい、という無謀な思いに駆られたのはいつだったのだろうか。
 フリーランスのライターとして活動を始めてから、人物取材の件数だけはかなりに上る。市井の人から著名人まで、老若男女あらゆる分野の人びとに会ってインタビューをしてきた。そのたびに、当たり前のことながら、それぞれの人にそれぞれの人生がある、ということを痛感した。誰も、その人の人生を代わって生きることはできない。
 私が話を聞けたのは、それぞれの人生におけるさらにごく一部にすぎないだろう。だが、無名の人の人生もまた、この世界の“歴史”の一部であることはいうまでもない。一つの時代の流れの中に、ある一人の人生を置いて光を当ててみたときに、その陰影から何が見えてくるのか。舞台の上で自分が演じるのではなく、舞台裏からスポットライトを当てる照明係になってみたい、と思った。それも、歴史の表舞台からは忘却された人や、誤解されたままの人に。
 これまでに書いてきたのは、ろうあのアマチュア写真家の生涯であり、伝書鳩の通信史であり、文学史に登場しないベストセラー作家の村井弦斎である。脈略なく見えるこれらの執筆動機の共通点といえば、いま書かなければ永遠に失われてしまう、という切ない思いだったような気がする。私が書かなければ誰も書かないだろう、という使命感に駆られたともいえる。
 これらは、専門分野を持たず、ずっとアカデミックな世界の外にいたからこそ書けたのかもしれない。しかし、何でも書けるという自由は、どこからも必要とされない、という現実とつねに隣り合わせである。最初の本を出してから5年間、いま何を書くべきか、とずっと悩み続けてきた。それだけに、今回の受賞の知らせを受けたときは、すぐには信じられなかった。この賞は、マイナーで異端ともいえる分野をあえて歩み続けてきたことへの激励として受けとめたいと思う。
 読者として評伝を読むとき、書かれた人物を通して、実はその評伝の著者についても読んでいることに気づく。そこに面白さがあるわけだが、自著もそう読まれていると想像すると、これはかなり恐い話である。読者に対して、そして対象とする人物に対して、誠実かつ謙虚に向き合いながら、どうしても伝えずにはいられない思いを、これからも書き続けていきたい。

渡辺 靖(わたなべ やすし)(慶應義塾大学環境情報学部助教授)
 『アフター・アメリカ ―― ボストニアンの軌跡と<文化の政治学>』
                           (慶應義塾大学出版会)

 1990年代の終わりに留学から日本に戻って、様々な「アメリカ」論に目を通すにつれ、自分が見聞きしてきた「アメリカ」とは、ずいぶんと異なる「アメリカ」が語られ、流布していることに違和感を抱くようになりました。それは、現在取り組んでいる反米・嫌米研究やパブリック・ディプロマシー研究の契機になったものですが、私がフィールドワークの場として、そして生活の場として6年以上過ごしたボストンから見た「アメリカ」についても、きちんと示しておこうと思うようになったのが拙書執筆の動機です。「他者」を単純化するのが為政者の仕事であるとすれば、その複雑性や構築性を明らかにしてゆくのが研究者の仕事だと思っています。
 タイトルにある「アフター(after)」という英単語は、周知の通り、使われる文脈によって、「〜の後で」、「〜を超えて」、「〜に従って」、「〜を模して」、「〜を求めて」、「〜を追いかけて」など多義的なニュアンスをもつ言葉です。『アフター・アメリカ』というタイトルを聞いて、論壇を賑わしているアメリカ超克論の一種だと勘違いされる方もいらっしゃるようですが、私が描きたかったのは、アメリカ人にとっても、そしてそれを見つめる我々にとっても、決して一筋縄には語り得ない「アメリカ」へのビジョンの多様さとせめぎ合いでした。
 異文化理解や地域理解の必要性が盛んに叫ばれる一方で、数量分析や数理モデルが席巻し、インターネット情報への依存を強めているのが、昨今のアカデミズムの現状です。現地の言葉や文化を習得するのは時間がかかります。フィールドワークにはお金もかかります。生の情報を集めるには体力と気力が必要です。経費削減と効率性重視の風潮のなか、3年間のフィールドワークを基にした拙書が、この度、名誉あるサントリー学芸賞をいただけたことは、もちろん個人的には大きな喜びです。と同時に、何よりも、こうした地を這うようなアプローチの成果を認めていただけたことは、研究者仲間、そして次世代を担う学生達にとっても大きな励みになると思います。そうした二つの意味で選考委員会の方々には深くお礼を申し上げさせていただきます。編集者の上村和馬さんをはじめ、多くの方々とこの喜びを分かち合いたいと思います。

<思想・歴史部門>

平野 聡(ひらの さとし)(東京大学大学院法学政治学研究科助教授)
 『清帝国とチベット問題 ――  多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)

 このたびは大変栄誉ある賞を頂くことになり、まずはサントリー文化財団、出版元の名古屋大学出版会、そして本書を執筆する過程でこれまでご指導頂いた諸先生方や様々な刺激を与えて下さった皆様に心よりお礼申し上げます。私は本来、漢文史料をはじめとする文字の海の中で沈思したり、歴史が息づく景観の中を彷徨うことが出来れば無上の喜びを感じるという人間ですので、突如として注目を受けることには不慣れで些か驚きを禁じ得ません。とはいえ、私の研究と執筆の基本は、現代の問題に対して目先の状況だけではなく様々な歴史的要因を掘り下げて出来るだけ包括的な視点を提示してみたい、個別の問題についてその固有の文脈だけにとどめるのではなく出来るだけ比較の視点の中で論じてみたい、といった動機に支えられています。したがって、現代世界を揺るがす民族問題の一事例について、その背景を極めて長い時代設定に求め、一見互いに矛盾・対立する主張や動向がどのような起源を共にしているのかという点を中心に論じた本書が今こうして高い評価を頂けたということで、自分のこれまでの暗中模索は決して無駄ではなかったと考えているところです。
 しかし裏を返してみれば、本書の主題は人間の猜疑心や相互不信がもたらした悲劇に関わっているだけに、本書がこうして受け容れられる状況そのものを本当は悲しむべきなのではないかと考えます。また、本書は主に今日の中華人民共和国における民族問題の起源を対象としていますが、だからといって本書が感情的な「中国批判」の材料になるとしたら、それは著者である私が最も望まない可能性であり、本書の読まれ方として適当ではないと最初にお断りしなければなりません。何故なら、本書の中で民族問題や地域紛争の原因として強調しているのは、様々な文化に対する公正な見方の欠如、そして複雑な問題に対する統治エリートの対応能力不足であり、これらは決して清という帝国とその後継国家である近現代中国固有の問題ではなく、日本、米国はもとよりあらゆる国において古今決して無縁ではない普遍的課題だからです。したがって、本書が単に地域的な問題、あるいは歴史世界の問題に関する記述にとどまらず、人間社会における諸課題を謙虚に考え、少しずつ世界が調和を回復するための一つのヒントとしてごく僅かでも貢献するとすれば、筆者としてこれ以上の喜びはありません。



以   上

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