メインコンテンツへ

ニュースリリース

   (資料2)


第24回サントリー学芸賞 受賞の言葉


<政治・経済部門>

玄田 有史(げんだ ゆうじ)(東京大学社会科学研究所助教授)
  『仕事のなかの曖昧な不安 ― 揺れる若年の現在』(中央公論新社)

 「この本に書いてあるのは、若いサラリーマンだったらみんな知っている、当たり前のことばかりだ。ただ自分が漠然と思っていることには、やっぱり根拠があった、自分だけじゃなかった、と感じることができたのは、意味のあることだと思う」。
 『仕事のなかの曖昧な不安』を書いて、たくさんの方からご意見や感想をいただいた。いずれも考えさせられるものばかりだったが、なかでもサラリーマンの友人からのこんな印象をきいたとき、書いてよかったと、率直に思うことができた。
 多くの働く若年の漠たる不安に対して、ささやかながらも共感を広げられたことに評価をいただき、この栄えある賞をいただいたのならば、それは本当にうれしいことである。心より感謝を申し上げたい。
 若年失業が増加した背景として、それは単に若者の就業意識が低下したからだといった決めつけを取り除いていくことは、困難化する若者の雇用問題を好転させる解決策を発見するための第一歩である。
 しかし同時にその一方で、若者の置かれる状況は、失業問題だけでなく、一層の深刻化のきざしを見せつつある。仕事を探す「失業者」でなく、もう仕事を探すことすらあきらめた「無業者」の若者の増加。30代の若者の長時間労働や、その結果としての過労死。かつてなかった20代や30代の犯罪の急増など、若者にまつわる不安は新しい局面を迎えている。
 反面、一つの希望を感じさせるような反響もあった。転職や独立など、仕事にまつわるさまざまな曖昧な不安を、冷静にファイトするためのリスクに変えていくヒントがある。それは、うすいけれども信頼のもとに広くつながった人間関係を持つことだ、という本書の結論への、思いがけないほど多くの反響だった。
 たまに会う友人からしか得られない情報の流通と共有は、ウィークタイズとよばれる。社会学ではよく知られたこの概念が、この本を読んでくれた若者や学生たちにとって、明日から何かを始めるきっかけを、わずかでも提供できたのだろうか。だとすれば、それは混迷する社会のなかでの学問の可能性を示唆しているのだと信じたい。
 その上で若者が幅広く人間関係を形成したいのであれば、そのなかで彼らや彼女らの日常にとっての非日常という刺激を真正面から投じる術を、今度は大人が考えるべきなのだろう。それが仕事についての不幸な世代対立を回避するための唯一の方策である。

細谷 雄一(ほそや ゆういち)(敬愛大学国際学部専任講師)
  『戦後国際秩序とイギリス外交 
          ― 戦後ヨーロッパの形成 1945年〜1951年』(創文社)

 この度、拙著『戦後国際秩序とイギリス外交』に名誉あるサントリー学芸賞を政治・経済部門にて頂けますことを、心よりお礼申し上げます。多くのご指導頂いた諸先生方、励ましと批判を頂いた友人諸氏、そしてご審査頂きました諸先生方のご厚情の結果として、このような有り難きご評価を頂けたものと深く感謝しております。
 私の場合は、この研究を進めてきた八年ほどの期間、楽しい思い出ばかりが思い浮かびます。純粋なかたちで知的興奮を味わえる刺激、思索を深める幸福、そして自らの視野が広がる感激の連続で、ただ楽しいことを続けてきたというのが率直な感想です。
 サントリー学芸賞を受賞された歴代の先生方のお名前を拝見しまして、この賞の社会的な貢献の驚くべきほどの大きさ、そして受賞諸作品の学術的水準の例外的な高さと独創性に改めて驚かされます。このことは、私がこれらの御著名な諸先生方と同水準の知性と思考能力を持っていることを意味しません。ない袖は振れぬ、というのが真実のところです。そのような高い知性を持たぬ私がこれまで求めてきたものは、高度で難解な学問的方法論が必要ない色あせた問題、即ち人間性の理解であり、それが彩る現実の世界の理解であります。
 人間性の理解、これが私の学問の根元的な問題関心であります。これは時間と空間を超える普遍的な問題であり、不断に理解を深めるべき重要な課題であります。と同時に、忙しい我々の日常の中で、最も見失いがちな、そして最も後回しにしがちな課題でもあります。近代ヨーロッパが最も進歩を加速した時期に、それを担った人々の多くは若き日々に、ギリシャやローマの古典から人間性の本質について多くを学んでおりました。さらには歴史書から現実の複雑さを多く学んでおりました。最も不必要なところに、最も必要としていることが隠されていることが少なくないように思えます。とすれば、日々我々が最も必要と考えて行っている作業が、実は最も不必要なことであることも少なくないのかもしれません。
 近年の政治学や経済学の世界では、明瞭な因果関係を示すことのできぬような、複雑で矛盾した人間性という不確定要素を排除して、学問の「科学化」を課題とする傾向が多く見られます。それは一定のすばらしい成果を上げてきました。そのような「進歩」へのささやかな反抗として、私は今後複雑で矛盾の多い現実の国際政治を理解するために、まずは人間性の理解を最重要の課題として念頭に置きたいと思います。その結果として国際政治学の学問が、少しでも「顔色が良く」なって、元気で魅力的になれば本当に嬉しいことです。とはいえ、複雑な人間性と多様な世界を理解する上では、私はあまりにも経験が浅く、あまりにも楽観的で、あまりにも物事を一面的に見る傾向があります。多くの方々のご指導を仰ぎながら、人間性の理解と世界全体の理解という、おそろしく距離がある二つの問題関心を融合させて、国際政治を理解するための手がかりを模索していきたいと考えております。

<芸術・文学部門>

加藤 徹(かとう とおる)(広島大学総合科学部助教授)
  『京劇 ― 「政治の国」の俳優群像』(中央公論新社)

 拙著『京劇』がサントリー学芸賞の「芸術・文学部門」を受賞できましたことを、たいへん光栄に存じます。
 中国の近代社会において、演劇は、単なる娯楽以上の社会的使命をになわされてきました。特に、民衆に人気があった京劇はそうでした。「文化大革命」の導火線として京劇が利用されたり、革命現代京劇が作られるなど、京劇の二百年にわたる歴史は、京劇の舞台そのものと同じくらいドラマチックでした。
 もちろん京劇作品そのものにも高い研究価値があります。古典作品の大半は作者不明で、民間伝承的に練り上げられたものです。新作は、現代京劇であれ新編歴史京劇であれ、時代の思想をいかにとりこむかという作者の苦心がこめられています。京劇作品はつねに時代をうつす鏡でした。それらを日本人の視点で分析すると、中国人の本音や、中国人自身もよく認識していない彼らの特長や弱点も見えてくるので、興味は尽きません。
 残念ながら、京劇が娯楽の王様であった時代には、京劇研究は正式な学問として認知されませんでした。評論家や俳優、好事家の手になる評伝や筆録は豊富です。入門書や概説書もそれなりに刊行されました。その反面、京劇に関する学術論文とか、京劇を通して広く中国の社会や文化の問題を考えようとする著作は、日本でも中国でも多くありませんでした。特に日本についていえば、「文化大革命」が終了し、日中間を自由に行き来できるようになるまで、京劇研究の機は熟していなかったと言えるでしょう。総合芸術である京劇は、既存の学問の枠ではとらえきれぬ部分があり、文献資料だけでなく「現場」に触れる必要もあるからです。
 ここ二十年来、わが国における中国演劇研究の進歩には、めざましいものがあります。京劇についても、若手を中心に研究機運が高まりつつあります。そんな矢先、拙著『京劇』が受賞の栄誉に浴しましたことを、とても嬉しく思います。私の研究はまだまだですが、今回の受賞はこれからへの激励であると真摯に受けとめ、精進してゆこうと思います。ありがとうございました。

小谷野 敦(こやの あつし)(東京大学非常勤講師、明治大学兼任講師)
  『聖母のいない国 ― The North American Novel』(青土社)

 苦節十年、という感じがしている。
 あと少しで四十歳という若さで何を言うか、と言われるだろうが、最初の本を出してから十二年、既に十四冊の単著がありながら、賞とは無縁だった。その上、私の出身大学院では、その十二年の間に、先輩後輩らが、最初の著作で、あるいは三十代で、ひょいひょいと何らかの賞を取っていたのである。これは苦しかった。何でもいいから「賞」と名のつくものが欲しいと思い、苦しさのあまり、賞を貰えない恨みについてエッセイまで書いてしまった。学者としては大人げないが、文学者というのは「狂」を抱え込んだものだから、まあいいかと思っている。しかし考えてみれば、もしもっと早く「賞」を貰っていたら、今の私はなかっただろう、と思わざるをえないのも確かで、破れかぶれの気持ちになったから『もてない男』が書けてそれがいくぶん閉塞気味だった私の研究に突破口が開かれたのだし、艱難汝を玉にすなどと殊勝なことは言うまいが、禍福はあざなえる縄の如しとくらいは言えるだろう。
 しかし不思議なことに、他の著書は刊行に当たってそれ相応の期待をしていたのに、『聖母のいない国』だけは、今どきこんな古典アメリカ小説論集成などというものに注目する人もいなかろう、と思っていたのである。しかも私はアメリカ文学からはしばらく遠ざかっていたし、連載当時は死に物狂いのありさまだった。それが刊行してみると、知友の私信でも書評でもむやみと評判がいい。世阿弥のいう「せぬひま」とはこれか、と思ったものだ。私には怨念をエネルギーにして書いてきたようなところがあるので、今後大丈夫か、という問題があるように思うのだが、まだまだ怨念は尽きないのではないかと思う。
 世界的に、文学研究などという学問は、無用のものと思われつつある。なればこそ私は、文学に閉じこもることなく、作品を外部世界へ解き放ち、面白く書くこと、けれど学問的緻密さは保つことを、この数年心掛けてきた。そしてこれも、あとがきに書いたとおり、要は大学院で教わった作法に、ずいぶん迂回して結局は戻ってきたのだと言うほかない。今のところ書くべきものがいくつかあるが、いずれは、博士論文の続編とも言うべき、昭和恋愛思想史を仕上げたいと思っている。

沼野 充義(ぬまの みつよし)(東京大学大学院人文社会系研究科助教授)
  『徹夜の塊 亡命文学論』(作品社)

 ある国際的な賞を授与されて東京にやってきた旧知のポーランドの学者との懇談を終えて帰宅したとたん、電話が鳴って、サントリー学芸賞受賞の知らせをいただいた。ところが、私はすぐに飛行機に乗ってばたばたとロシアに発ってしまったため、いまこの言葉はモスクワの都心部の仮住まいで、モスクワ大学での授業のあいまに書いている。
 モスクワに到着した直後には、日本では無名のハンガリーの作家がノーベル賞を授与されたため、中国系商館でのんきにもジャスミン茶を買っていた私の携帯電話が、日本の新聞社からの問い合わせで鳴りっぱなしだった。国境がどこにあるのかよくわからない境遇に身を置き続けている感じだが、亡命をテーマとした本で賞をいただいた身に相応しいことではないか、とも思う。
 『徹夜の塊 亡命文学論』のような本で賞をいただくことになったのは ―― 特に審査員がかねてから尊敬し、仰ぎ見てきた先生方ばかりなので ―― 嬉しいと同時に、恥ずかしくもある。もっと学者らしく、一つのことを周到に調べ上げた堂々たる研究書を書き上げていなければいけない年頃になっていたのに、私は相変わらずふらふら越境を続けてきた(蝶のように軽薄に、ただしカバのようにどたどたと)。私は優しい顔はしているが、これでもけっこう極道者だ。アメリカやロシアをほっつき歩いていて、父の死に目にも母の死に目にもあえなかった。
 そんな私も、四度目の年男となり、年貢の ―― せめて一生の三分の二期分くらいの ―― 納め時と観念した。そして、十数年にわたって書き散らかしてきたあれこれの文章を「亡命」「ユートピア」「世界文学」という三つの柱に沿って再編集し、三部作として形をつけることにしたのだが、それもじつは、長年私を励まし続てくれた作品社の編集者、増子信一氏の友情と粘り強い慫慂のおかげである。今回のサントリー学芸賞を心の弾みとして、三部作の残り二冊も早く上梓したいと考えている。
 このささやかな本について「学恩」を云々すること自体おこがましいのだが、それでも『亡命文学論』が多くの先行者、同僚、そして日本やそれ以外の場所の大学で議論の相手になってくれた若い友人たちに負っていることは言うまでもない。だがそれ以上に大きかったのは、無数の亡命者した/亡命しなかった文学者たちとの、アメリカやポーランドやロシアなどでの出会いである。そして、そんな出会いが可能になったのも、気ままに飛びまわり続ける私を支えてくれた妻、沼野恭子を初めとする家族の理解があってのことだった。よくよく私は運のいい人間である。

<社会・風俗部門>

河東 仁(かわとう まさし)(立教大学コミュニティ福祉学部助教授)
  『日本の夢信仰 ― 宗教学から見た日本精神史』(玉川大学出版部)

 このように歴史的かつ社会的に重みのある賞を頂けるとは、まさしく夢にも思っていなかっただけに、言葉では言い尽くせぬほどの喜びとともに大きな驚きに包まれております。貴財団並びに選考にあたって下さいました委員の先生方に、心よりの御礼を申し上げます。
 執筆中に常に考えておりましたのは、若い人びとが日本の古典文学に目を向ける呼び水になれれば、ということでした。そのために、できるかぎり平易で読みやすい文章になるよう心掛けたつもりです。掲載資料に関しましても、口語訳というスタイルをとりました。しかしその結果、ややもすると文学作品としての「香り」や「気品」を損なう形となり、日本文学をご専門とする先生方にお詫びの仕様もないとの念も抱いております。しかし、古典文学の世界への呼び水の試みという趣旨をお汲み取り頂き、ご寛恕下されば、と心より願う次第でございます。
 執筆の動機に関しまして、さらに大風呂敷を広げますと、新世紀が混迷のなかスタートするにあたり、自らの属する民族の精神史的なルーツを把握することはきわめて重要では、という思いもありました。これはもちろん、後ろ向きの民族讃美を意味するものではありません。祖先たちの思想的な営為を顧みることは、新世紀に生きる私たちの依拠すべき思想を、それも西洋からの借り物ではなく自前のものを、これから紡ぎ出してゆくにあたって必要不可欠では、との思いによるものです。とはいえ、その任に拙著がどこまで耐えうるかは、正直なところはなはだ心許ないことも事実です。ただ少なくとも、これまで根無し草であった私個人にとりましては、拙著の執筆作業により、精神史的なルーツにいささかなりとも繋がることができるようになったとの思いを抱いております。
 今後の予定と致しましては、まずは鎌倉期に注目したいと思っております。具体的には、鎌倉時代初期の高僧、慈円(慈鎮)の霊夢、後深草上皇に仕えた女房、二条の日記文学『とはずがたり』、そして幕府の史書『吾妻鏡』などであり、公家から武家の時代へという大変動に際して人びとが何をどう思っていたかを、夢信仰という視角から浮き彫りにできれば、と思っております。生来の怠け者でございますが、本賞の重みに負けぬよう、それ以前に本賞の名を汚すことのないよう、これから一層の精進に努めて参りたいと思います。

切通 理作(きりどおし りさく)(文筆者)
  『宮崎駿の<世界>』(筑摩書房)

 映画というのはどうしても、自分が勝手に作り上げた期待でバイアスがかかるものだという気がします。同じ主演スターやスタッフがその前にやった作品から掻き立てられた期待や、「いまなぜこの作品なのか」というような同時代的な視点からの期待。
 自分はそういうものから自由でありたいと思っているのですが、同じ映画を数年後に見返すと、一本の作品として面白く見れたりします。いかに自分が物事を見つめる目を自ら妨げていたかがわかることも少なくありません。
 『宮崎駿の<世界>』を書く事を通して、それぞれ公開時に見ていた宮崎アニメの一本一本と出会い直したことは、自分にとって、そういう体験でした。作品世界を体験し直す時間を持つことが出来たのは幸運でした。
 その上、さらに読者の方々の存在を知ったり、このような形での評価を頂くということは、それだけ宮崎アニメが我々を揺さぶる力が大きいということだと思います。
 でも僕個人も今回素直に嬉しかったです。特にこの本で頂いたということが。
 僕は物書きを始めて十年になりますが、最初は作品を通して戦後史を語ろうとしたり、自分史を見出そうとしたりと、肩肘張った部分もあったと思います。もちろん、この本にもそういう視点がないわけではありません。けれども、書いている時は大向こうを意識したり、ハッタリをかましたりということがまったくありませんでした。
 ストレート直球というか、なんのケレン味もなく球を投げた気分です。
 賞に限らず、他者の評価というものは、当人からすればどこかにそういう「面倒くささ」を含んでいるのではないかと思います。無理したり、背伸びして書いた本で賞を頂いてしまうと、自分で演じたその姿を意識し続けなければならないかもしれません。そうした緊張感も自分を鍛えるにはいいのかもしれませんが、今回とっても自然に、気持ちよく「良かったと言ってくださる方がいるんだなあ」と受け止めることが出来ました。
 たまには一点の曇りもなく「ああキモチイイ」とだけ言える瞬間があるんだな、と実感しました。妻とサントリーのワインで乾杯しました。

<思想・歴史部門>

田中 純(たなか じゅん)(東京大学大学院情報学環助教授)
  『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』(青土社)

 今年の七月下旬、賞をいただいた書物でとりあげたドイツの美術史家アビ・ヴァールブルクの墓を、ハンブルク近郊の墓地に訪ねました。墓が位置するはずの一画をいくらめぐり歩いても見つからず、挙げ句には雷雨まで降り始め、ほとんどあきらめかけていたときに、妻の一族が眠る墓所の片隅の、植え込みの陰に隠れるようにして建つ墓石にようやく気づきました。その蕭然としたたたずまいからは、ユダヤ人であるがゆえの迫害恐怖に始まり、精神病との格闘をも強いられたこの人物の、深い孤独と憂愁を思わずにはいられませんでした。
 わたしの書物は、このイメージの歴史家の遍歴を、狂気の深みにいたるまで追跡しようとした試みです。彼はヨーロッパ文化のイメージ記憶の総体を、自分自身の魂という鏡に映し出す霊媒にも似た存在でした。それゆえわたしは、彼の歩みに寄り添うことで、イメージという魔物の正体に導かれてゆく次第となりました。偶像崇拝と偶像禁止の間を揺れ動くこの道行きは、ヴァールブルクにとって地獄めぐりになりかねない、危険きわまりないものでした。彼がその旅路で得た知のただなかには、錯乱にも似た情念がたぎっています。そして、わたし自身もまた、この歴史家の言葉を借りれば「意識を完全に保った霊媒」として、そんな情念を自分に憑依させながら、しかし、徹底して客観的・実証的な論述を心がけたつもりです。ヴァールブルクが構想した「文化科学」という学問の「魂」とでも呼ぶべき何かは、そんな方法によってはじめてとらえられそうに思われました。
 大胆な知の越境の先達であるヴァールブルクをめぐる書物に歴史ある賞を与えていただき、同じ越境を志している自分の仕事に力強い支えを授かった思いがいたします。そして、ウォーバーグ研究所のスタッフをはじめとする、有形無形の助力を得た方々すべてに、改めて感謝の気持ちを捧げたいと思います。優れたヴァールブルク伝の著者である、今は亡きゴンブリッチ卿に、この知らせを伝えられないことが残念でなりません。
 今後に向けた抱負は、ユーラシア文化の古層に達するイメージ記憶を、先史時代から現代にいたるまで、地域を縦横に越境してたどること、つまり、ヴァールブルク的文化科学の独自な実践です。学問もまた旅を通じて変貌するのだとすれば、ハンブルク人ヴァールブルクの理念にアジアの地で接ぎ木された枝から、そんな異種混淆した花を咲かせてみたいと願っています。

以   上


ニュースリリーストップページへ