メインコンテンツへ

プロフィール

所属 サントリー
生年月日 1985年6月19日
出身地 沖縄県 国頭郡東村
出身校 東北高等学校
身長 155.3cm
血液型 B型
星座 ふたご座
スポーツ歴 陸上、バスケットボール
趣味 映画鑑賞、音楽鑑賞
好きな色 赤、青
ゴルフ歴 4歳から

サントリーとともに歩んだ歴史

2000年 日本中を驚かせた14歳の天才少女

舞台は2000年のサントリーレディスオープン。まだあどけなさ が残る中学3年生だった宮里藍は、歴戦のプロたちに混じって見 事なプレーを見せ、トータル1オーバーの23位タイでフィニッシュ。14歳11ヶ月でのプロツアー予選通過は当時における史上最年少記録であり、その偉業に日本中の注目を集めました。

 2001年〜2003年サントリーレディスオープンで、3年連続のベストアマ獲得の快挙

2001年ふたたびサントリーレディスオープンに戻ってきた宮里藍は、アマチュアでただ1人予選を通過。通算8オーバーの41位タイとなり、前年わずか2打差及ばなかったベストアマを獲得しました。2002年には初の最終日最終組というプレッシャーの中、後半連続バーディを奪いトップに肉薄するなど見せ場を大いに 作り、通算6アンダーで自己最高位となる堂々の3位タイという驚異の結果を残しました。

16歳とは思えない落ち着いたプレーを振返った当時の本人コメント。
「残念でした!思っていたより冷静で、逆にもっと緊張した方が良かったかも知れません。そんなに上手くはいきませんね。」

2003年は宮里藍をはじめ、横峯さくら、諸見里しのぶを含む5人のアマチュアが決勝ラウンドに残りました。3日目に6アンダーで横峯さくらと並びましたが、最終日2ストローク伸ばし通算8アンダーの13位タイでフィニッシュ。3年連続でベストアマ獲得となりました。

 2003年 サントリー所属プロとして、飛躍の時代へ

数々のアマタイトルを獲得してきた宮里藍は、2003年9月に開催された宮城テレビ杯ダンロップ女子オープンにて、アマチュアとしては実に30年ぶりとなるツアー優勝の快挙を成し遂げます。その年の10月にプロ宣言し、史上初の高校生プロとして華々しくデビュー。これを機にサントリーは宮里藍プロと所属契約を結び、サポートを続けていくことになります。

当時所属契約を結んだ時の本人のコメント
「サントリー所属選手として、これからがんばっていきます。ゴルフで、『スポーツの夢と感動』を伝えることの出来る選手になることを目標にしたいです。」まさしく、自らの思いをその後実現していくこととなったのです。

  所属プロとしてサントリーレディスオープン優勝、一躍トッププロへ

2004年サントリーレディスオープン。最終日トップと2打差の2位でスタートした宮里藍は、前半で3つスコアを伸ばし後半からは追いあげてくる選手がいなく一人旅。通算11アンダー、2位以下に 6打差をつけ、所属プロとしてサントリーレディスオープン優勝の栄冠を手にしました。

優勝時の本人コメント
「スコアを伸ばして行こう、自分に挑戦しよう、と思ってプレーしようと思いました。この試合でどうしても成績を残したくて前々から照準を合わせていました。それが本当にうまくいき嬉しいです。すごく充実した優勝でした!」その勢いのまま年間5勝をあげる活躍をみせ、日本プロスポーツ史上初の10代での年間獲得賞金1億円を突破し、トッププロへと飛躍していったのです。

世界への挑戦〜

常に世界へ目を向けていた宮里藍は、2006年から活躍の舞台を米国ツアーへと移します。米女子ツアー本格参戦から4年、幾多の困難を乗り越えて2009年7月エビアンマスターズにて涙の初優勝。その後も好調を維持し、2009年米国賞金ランキング3位をマークしました。

2010年は米ツアー開幕戦から2連勝を果たし、その後も快進撃を見せ、6月のショップライトクラシック優勝で岡本綾子さんの日本人最多記録4勝に並び、8月のセーフウェイクラシック優勝で日本人単独最多勝記録5勝を達成。世界ランキング1位も経験しました。

プレーヤー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)獲得という大きな目標に向けて、日本のみならず、世界を代表するプレーヤーとして成長を遂げています。